「薬害エイズ」ミドリ十字事件控訴審判決を傍聴して
-歴代3社長による業務上過失致死事件-

参考:特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権

2002年8月21日、大阪高等裁判所大法廷において、旧ミドリ十字元社長の松下廉蔵被告と須山忠和被告に対する控訴審の判決公判がありました。第1審では、松下被告に禁固2年、須山被告に禁固1年6ヶ月、川野被告(故人)に禁固1年4ヶ月の実刑判決が下されましたが、被告それぞれが量刑を不服として控訴していました。控訴審では、被告は起訴事実については争う姿勢を見せず、もっぱら執行猶予を得るべく、情状事由を立証する手段に訴えて審理が行われていました。そして、この日下された判決は、松下被告が禁固1年6ヶ月、須山被告が禁固1年2ヶ月の実刑判決でした。ある専門家やマスコミ筋の予測では、執行猶予が付く可能性も少なくないと言うことだったのですが、裁判官は第1審を破棄して減刑したものの、やはり実刑判決を言い渡し、原審の判断骨子を曲げることはありませんでした。なお、川野氏に関しては、本人が既に死亡しており、第一審判決が確定しています。

 この日は、多数の傍聴人を予想して、傍聴席の抽選が行われることになっていました。朝9時から行われる抽選会に並ぶため、私も9時前から裁判所に入りましたが、9時半になってもマスコミと事件関係者以外の出足が鈍く、結局全員に傍聴券が配布されて入廷が許されることになりました。思うに、時が経つにつれて世間やマスコミの関心が薄れていく様が、こんな場面で如実に反映されることに私たち関係者も危機感を持ってこれからの活動の展開を考えるべきです。また、これだけの大きな事件の公開法廷が、直前まで関係者に知れ渡らない状況-刑事事件なのでHIV訴訟の弁護団、原告団には直接通知がない-も何とかならないものかと思います。

 今回の判決要旨を後記に掲載していますが、正式な判決文は高等裁判所において作成中で、後日改めて公表されることになる模様です。以下、私なりにこの判決について感じたところを記述してみます。

「薬害エイズ」ミドリ十字事件(裁判所)


 ミドリ十字ルート事件の起訴事実について概要を説明しますと、これは1986年4月1日、食道静脈瘤の硬化手術を受けた肝疾患の男性患者(非血友病患者)が、止血もしくは出血予防の目的で、3日間にわたって非加熱濃縮血液凝固第Ⅸ因子製剤であるクリスマシン3本を投与され、これが原因でHIVに感染し、その数年後にエイズを発症し(1993年)死亡した(1995年12月4日)事件です。日本において加熱した血液凝固第Ⅸ因子製剤(クリスマシンHT)は1985年12月17日に輸入承認を受け、翌年1月10日に販売が開始されています。したがって、この被害者は、加熱クリスマシンが日本市場に出回ってから3ヶ月後に非加熱クリスマシンを投与されたことになります。現在控訴中の帝京大ルート事件-安部英被告業務上過失事件-では、被害者は血友病Aの患者で、手首関節出血の治療のため、1985年5月から6月にかけて非加熱の血液凝固第Ⅷ因子製剤クリオブリン(日本臓器)を投与されてHIVに感染し、後にエイズを発症して死亡しました。帝京大事件の方は、非加熱製剤投与が加熱製剤承認直前-第Ⅷ因子製剤の承認は1985年7月-という点で、今回のミドリ十字ルート事件とは状況を異にしています。その他、帝京大事件が血友病の止血治療であった点-ミドリ十字事件の被害者は非血友病-、被告がそれぞれ権威医師と製薬会社トップという相違などがケースの特徴として挙げられます。

 大阪高裁は判決理由において、旧ミドリ十字における人命よりも徹底した利益優先の営業方針の本質に、松下、須山両被告らの描いた虚偽宣伝-クリスマシンは国内血使用-の指令があった事実を認定したのですが、検察側の努力によりその経緯、からくりが、加熱製剤承認後も利益の高い非加熱製剤在庫一掃の構図と他社と競合する医療機関への加熱製剤納入の販売戦略として見事に説明されています。さらに、当初は肝炎ウイルス対策として開発された加熱製剤も、エイズの知見が進むにつれて、HIV対策として研究者や厚生省の期待が強まってきて、加熱製剤の承認が急がれたことを指摘しています。つまり、ある時点から血液製剤によるHIV感染とその後のエイズ発症のリスクが相当懸念され、予見可能性の度合ひいては危険性の認識が徐々に高まってきたなかで、虚偽宣伝まで行って非加熱クリスマシンを販売し続けたこと、ましてや加熱製剤発売後、安定供給が見込まれる時期になっても方針を崩さなかったことを戒めたうえ、種々の情状事由を差し引いても実刑を免れないと断罪したのです。これは、認定事実から至極妥当なものと思います。

 ここで注目すべき点は、予見可能性、危険性の認識が相当高まってきた時期とその認定方法だと思います。帝京大ルート事件において、東京地裁は、その時期とその認定根拠を極めて客観的な医学または科学水準に置きました。一方、大阪高裁は、この点をまず「人の生命が最も重視される保護法益であって、これを凌賀する利益はない」としたうえで、人命が何事にも代え難いものである以上、確実なものと認識できない場合であっても、予見義務や結果回避義務を免れるものではないとして、他の財産に比して予見可能性や危険性認識について緩やかな基準を設定しています。これを帝京大ルートにおける東京地裁判決と比べてみると、「死亡率が低いと認識していたとしても、死んだ人は運が悪かったと思えとは到底言えるものではない」とか、製剤投与からエイズ発症までの因果関係について「その経路についてまで科学的に解明され、客観的に証明されるまで予見義務や結果回避義務を負わないとか、これが軽減されると言うことはできない。これを肯定するならば、未曾有の悲惨な被害が出てしまう」という点で、大阪高裁は薬害事件についてかなり斬新な判断基準を示しています。判決要旨にはまだ載っていませんが、この判断基準に則って、「1985年後半は旧ミドリ十字の一般社員すら、その職務上、エイズ発症者の少なさが楽観できるものではないと認識できる時期」と傍論で述べています。では専門家の場合はどうか。大阪高裁は、米国NIHとWHOとの共同で開催された1985年4月の国際研究会議-いわゆるアトランタ会議-で発表された知見に触れて、このときの情報をして専門家がリスク予見の蓋然性を高めた時期であり、結果回避を計る機会であったように述べています。この点は東京地裁でも裁判官は同じ認識を持って述べていましたが、ここで裁判官による予見義務または危険認識の判断基準が、科学的水準をどの程度まで重要視するかによって分かれるのだろうと思います。いや、正確に言えば、危険認識と結果回避義務を認めるにあたり、その情報を収集して得られる結果の予見可能性で十分とするか、さらに科学的に解明される必要ありとするのかということになるのかもしれません。裁判所が異なるので一概には言えませんが、帝京大ルート事件の控訴審では、まずこの点において、大阪高裁の判決がどの程度影響するか注目すべきです。

 また、量刑斟酌及び情状事由の中で、厚生省の責任についても触れられていました。旧ミドリ十字社長らの危険認識を低次元にさせた理由の一つに、厚生省が加熱製剤発売後も非加熱製剤の回収を指示したり、あるいはミドリ十字に対して指導したり、助言したりしなかった事を挙げています。ミドリ十字が大きく判断を誤った動機が厚生省の無作為にも起因すると述べています。この点、同じく控訴された厚生省ルート事件にどんな影響を与えるかも注目されます。

 なお、ミドリ十字ルート事件は、両被告が判決を不服として即日上訴しましたので、この事件は最高裁判所で審理されることになりました。いったい被告はこれ以上何を主張するのか。二人とも高齢であるが故に、執行猶予を得て、余生を檻の外で暮らしたいとの思いでしょうが、その被害の甚大さと彼らが起こした大きな過ちを償うには刑に服するしか有りません。また、薬害を起こさない土壌を築くためにも、人々が薬害被害の悲惨さを銘記することと、医薬に係わる者の社会的責任やモラルを確立するためにも、本件被告に制裁をもって処する必要があるというべきでしょう。

参考:ネットワーク医療と人権 (MARS)各種取材報告等