「薬害エイズ」帝京大学ルート刑事裁判 控訴審の経過 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

Newsletter
ニュースレター

「薬害エイズ」帝京大学ルート刑事裁判 控訴審の経過

「薬害エイズ」帝京大学ルート刑事裁判 控訴審の経過
-安部英医師を被告とする業務上過失致死事件-


(文責:特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 事務局長 太田裕治)


 第一審(2001年3月28日東京地方裁判所・永井敏雄裁判長)において安部英医師が無罪となった、いわゆる「薬害エイズ」帝京大ルート刑事裁判の控訴審は、12月16日第9回公判で風間睦美証人の尋問が終了し、来年3月2日の公判において最終弁論を行い結審することが河辺義正裁判長によって告げられました。既に新聞等の報道でご存じの方も多いかと思いますが、第9回公判期日の終了直前に裁判長が弁護側の請求を受けて、安部英被告の精神鑑定を行うことを決定しました。つまり、弁護側曰く、安部氏は心神喪失の状態にあり代理人(弁護士)と意思疎通が図れないため、公訴手続を停止せざるを得ないというのです(刑事訴訟法314条)。もし、鑑定結果で安部氏が心神喪失の状態にあり訴訟能力がないとなれば、裁判は停止しますし、このまま安部氏が元の状態に戻らないとなれば、判決を下せないまま、公訴棄却となる可能性があります。起訴から7年間、数々の証人尋問と多数の証拠提出によって事実が集積されてきたこの裁判が、終盤にきてこのような事態になることは、ある程度予想されたとはいえ、とても残念なことです。

 私自身は、この裁判も含め「薬害エイズ」にかかる刑事裁判が真相究明に果たしてきた役割はとても大きいと感じていますが、一方で、薬害の再発防止にあたって、その対応を誤った当事者がしっかりと責任をとることは大事なことだと思います。細かいことを言えば、私は、医師としての安部氏がその医療行為によって起訴されたこの事件を医療過誤に近い内容のように感じますが、これはむしろ今日の刑事裁判における限界-あるいは刑法の不備-を投影した事件ととらえています。やはり、安部医師などは、一専門医師として裁くべき対象ではなく、多数の患者の命運を掌握した公人あるいは権威的立場として判断されるべき対象と考えます。とは言うものの、まだ控訴審の結果が出ていないので、当該裁判の総括をするのは早計ですし、とりあえずは裁判所の鑑定結果による決定を待つしかありません。

 控訴審の経過

 第一審では、検察側が特別な地位にあった安部医師が当時(1985年5月~6月)問題の非加熱濃縮製剤を患者に投与すれば、HIV感染が成立して、やがてエイズを発症することが極めて高い確率で予見できたとの主張をしたのに対し、東京地裁が、安部医師は一般の血友病医師らとその認識の点において何ら優位な立場にあるものではないとの判断を下したために、控訴審では、安部医師に限らず、1984年から1985年上半期あたりにかけての血友病医師らの「エイズの危険性認識」-非加熱濃縮製剤投与によるHIV感染とその後のエイズ発症の予見可能性-が主な争点となっているように思えます。

【控訴審に出廷した証人の一覧】
  • 第2回公判(2003年1月21日)
    内田立身 証人 *検察側主尋問/弁護側反対尋問
    元福島県立医科大学第一内科部長・現「高松赤十字血液センター所長」
  • 第3回公判(2003年3月4日)
    杉山孝博 証人 *検察側主尋問/弁護側反対尋問
    元石心会川崎幸病院内科・現「川崎幸クリニック院長」
  • 第4回公判(2003年5月20日)
    木下忠俊 証人 *検察側主尋問
    元帝京大学医学部教授(2003年3月退職)
  • 第5回公判(2003年7月15日)
    木下忠俊 証人 *弁護側反対尋問
  • 第6回公判(2003年9月18日)
    大平勝美 証人 *検察側主尋問/弁護側反対尋問
    東京HIV訴訟原告団副代表・現「はばたき福祉事業団理事長」
  • 第8回公判(2003年11月18日)
    風間睦美 証人 *弁護側主尋問
    元帝京大学薬学部教授・現「新栄会滝野川病院院長」
  • 第9回公判(2003年12月16日)
    風間睦美 証人 *検察側反対尋問


 これまで控訴審に出廷した証人の一覧は上記のとおりですが、第2回公判では、非加熱濃縮製剤から当時治験が行われていた加熱濃縮製剤へ切り換えた内田立身医師が証言し、第3回公判では、濃縮製剤発売以降もクリオ製剤(ニチヤククリオ、AHF)や国内産のハイクリオを治療に用いた杉山孝博医師が証言台に立ちました。

 第2回公判期日に出廷した内田医師は、その証言のなかで、加熱製剤への転換を図った経緯として、担当していた血友病患者が1985年4月にAIDSで死亡し、その凄惨さ、悲惨さに強い衝撃を受け、非加熱濃縮製剤の使用を一切やめて加熱製剤に切り換えたと述べ、その方針転換を決定する際に数名の医師に相談し、十数カ所の関連病院にも非加熱濃縮製剤の中止を指示したと証言しました。また、杉山医師は、通常の出血には、クリオ製剤を使用してきた理由として、プール血漿の安全性に対する不安、臓器移植と同様に海外由来の血漿を使うことへの抵抗感が当初からあり、高価な医薬品(血液製剤)を少量で有効に使う方針であったと述べました。

 第4回、第5回公判期日には、検察側証人として帝京大学第一内科時代に安部氏の部下であった木下医師が証人として出廷し、1984年から1985年にかけてのAIDSに関する危険認識と安部氏に対する治療方針変更の進言-非加熱濃縮製剤からクリオ製剤への治療変更-について証言しました。そして、第6回公判期日では、被害当事者の大平氏が証言台に立ち、川崎幸病院(主治医:杉山医師)受診時代、クリオ製剤中心の治療を行っていたときの模様や1983年から1985年にかけての血友病患者のAIDSに関する認識、生活状況及び患者会での取り組みなどを証言しました。大平氏は主尋問の最後に、被害当事者として、「一審では、実情に即した判断が為されなかった。非加熱濃縮製剤がなければ治療ができなかったということはない。科学的知見が確立されるまで対策が執れないと言うのでは、感染症などが出てきたときに対応できず、被害者がたくさんでてしまう。・・・これはゲームではない。医師は危険と思うなら早く対策を立てるべきだ。」と締めくくりました。

 再び風間証人

 第7回公判は、10月21日に行われましたが、当初予定していた風間証人が病気のために欠席し、今後の立証方針のみが検討されました。これ以降1ヶ月に一度のペースで公判が開かれることになるのですが、今から思えば、裁判所は随分結審を急いでいたようにみえます。おそらく、安部氏の身体状況が伝えられていたのと、迅速な裁判を求める署名に後押しされていたのだと思います。

 そして、第8回と第9回の公判期日では、弁護側証人として第1審でも証言した風間睦美医師が出廷しました。木下医師もそうですが、第1審の証人が再び控訴審で証人として採用されることは珍しいそうです。それほど裁判長がこの事件に関心をよせているというのが法律専門家の評価です。実際、河辺裁判長の訴訟指揮は優れていると思います。検事、弁護士、それぞれを指揮するだけでなく、証人に対しても、聞き取りにくい部分や専門的で難しい箇所にわかりやすい説明を求めたり、自らも質問したり、重要な部分を確実に理解しようとする姿勢が見受けられます。

 風間医師は、東京大学医学部時代に安部氏が主任を務める医局への入局と同時に血友病に関わってきた人物で、安部氏に請われてエイズ研究班(エイズの実態把握に関する研究班)の下部組織である血液製剤小委員会の委員長に就任しています。ところが、小委員会の結論としてクリオ製剤での治療の可能性を示唆したことで安部氏から叱責を受け、以後、血友病治療の現場から外れていくことになります-帝京大医学部助教授から、やがて薬学部教授に配転-。風間氏は、過去にも、民事訴訟、厚生省ルート裁判(松村明仁被告)及び本件訴訟第1審に証人として出廷していますが、いずれも被告側の証人として証言台に立っています。一方、同じく安部氏の部下であった木下医師は、検察側の証人として出廷しています。そのような状況だけを見れば、元同僚同士が裁判ではたもとを分かった様な印象を受けますが、現実には風間医師が安部氏の反感を買って失脚した後、木下医師が台頭した背景が読みとれます。

 裁判での各々の立場は、木下医師が検察側証人として安部氏に不利な証言を期待される一方、風間医師が被告弁護側証人として安部氏に有利な証言を担うことになりますが、全体としては、似たり寄ったりの印象を受けました。両証言の焦点は、AIDSの危険性認識がいつから現実のものとなったか、ということだと思いますが、危険性認識と言ってもいろいろあると考えられます。その中で検察側が導き出そうとしたこと(あるいは裁判官が確認しようとしたこと)は、いつの時期になって、真に非加熱濃縮製剤の使用を中止すべきだと確信するほど、HIV感染とその後の驚異を感じたかということではないかと思いました。両証人の証言を聞いていて、私なりに明確になったことは、帝京大第一内科レベルの医師であるなら、1984年11月から12月には、科学的には証明できなくても、確実に非加熱濃縮製剤によるHIV感染とその予後における相当の危険性を予見していたということです。

 そのうえで、では何故、帝京大学では治療方針が変更されなかったのかということになりますが、両証言からは、安部氏の学内及び医局内における絶対的な権力とその封建的で短気な性格が部下を萎縮させていたような印象を受けます。もちろん、そのような理由で大切な患者の命が左右されるのは許されないことではありますが、風間医師が「安部先生は、治療の後退には絶対反対であった。クリオでは自己注射は不可能で、クリオ製剤使用の余地を残さない結論を委員会に求めた。」と述べたように、安部氏の一貫した治療方針がその権威と相まって、少なくとも帝京大学では被害拡大阻止をなしえなかったと考えられます。

 この裁判の論点からはずれているかもしれませんが、もっと大きな視点で「薬害エイズ」をとらえれば、このような性質の安部医師をエイズ研究班の主任研究者(班長)に抜擢したことが郡司篤晃氏(元薬務局生物製剤課課長)の誤りであって、国側から見れば最初にボタンを掛け違え、血友病におけるエイズ対策に失敗したと言えると思います。風間医師の証言から、クリオ製剤を再評価して転換ないし緊急避難を提案した研究班員(分担研究者)であった大河内一雄氏(九州大学輸血部)や郡司氏への対抗意識が当時の安部氏の発言に現れています。やはり、安部氏が血友病の第一人者としてのプライドを捨てて治療の後退をも辞さなければ(反対した血友病医師もいるとは思いますし、製薬企業も黙っていないでしょうね。また、血友病の患者会はどうしたでしょうか)、日本の「血液エイズ」は違った展開になったかもしれません。それにもまして残念なのは、安部氏の側近すべてが安部氏の見解を凌駕することができなかったことであり、その後に大きな悔恨を残すことになりました。

 最後に、尋問終了にあたり、河辺裁判長が「当時、血友病、エイズについて、最先端の情報を集めることができた医師は誰ですか。」と風間証人に問うたのに対して、風間医師は「それは安部先生ではなかったか。」と答えて、控訴審におけるすべての証人尋問は終了しました。裁判長はこの最後の質問に何を込めたのか、そしてその風間医師の答えに何を感じ取ったのか、本来なら判決が待たれるところですが、安部氏の容態がわかりませんので、この裁判の行方が気になります。

 厚生省ルート控訴審開始

 帝京大ルート控訴審は、当初の予定(1月結審、3月判決)より少し遅れていますが、12月18日元厚生官僚・松村明仁被告に対する控訴審公判が始まりました。松村氏の起訴事実は、安部氏起訴の原因となった患者のHIV感染が発生した当時に有効なエイズ対策を執らなかったこと(第一訴因)、及び1986年になっても非加熱濃縮製剤の回収措置を執らなかったために非血友病患者にHIV感染をもたらせたこと(第二訴因)です。両事件ともに被害者が死亡しているので、業務上過失致死事件として扱われていますが、重要なポストとはいえ、一官僚が「薬害エイズ」の法的責任を問われているという点で、非常に意味のある刑事訴訟です。第一審では、第一訴因が無罪、第二訴因が有罪とされましたが、弁護側、検察側双方が控訴して、官僚の責任が明らかにされようとしています。日本へのAIDS上陸から二十数年経って社会の関心が薄れてきているのは事実ですが、現代社会の有り様を凝縮した「薬害エイズ」事件を徹底的に解明してゆくことが、将来の危機管理システムの構築や今後の日本ないし人類がとるべき方向性の選択に寄与することを期待しています。