肝炎シンポジウム:第1部「肝炎の歴史と現在の治療」 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

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肝炎シンポジウム:第1部「肝炎の歴史と現在の治療」

MERS イベント「肝炎シンポジウム -第2の国民病「C型肝炎」の実態を暴く!-」
第1部:講演『肝炎の歴史と現在の治療』


≪講演者≫ 医療法人静山会 清川病院  院長  飯野 四郎

 肝炎ウィルスに感染すれば最終的にどうなるか。その予後の認識がいつ頃からあったかという、ある意味では、ウィルス肝炎の研究の歴史です。我々が、どの時点で何を考えて、どうしてきたかというようなこと、そういうことに関する報告書を学会として提出させられたわけですが、私の専門領域である肝臓学会、消化器病学会という両方の学会の責任者として回答をまとめたわけです。その報告はインターネットで厚生労働省が公開しているはずであります。今日はその報告に書きましたことを、おおよその内容ですが、お話しいたします。肝炎に関しては厚生省の肝炎研究班が昭和38年から名称を変えつつずっと続いています。その報告書が毎年出ていて膨大な量になりますが、その報告書に一通り目を通しました。

 そしてもう一つはもっと膨大です。日本肝臓学会と今は言っていますが、日本肝臓学会が始まった昭和40年代の始め、40年か41年ぐらいまでは、世界肝臓学会の日本支部とかいう名前で始まっています。「肝臓」という雑誌が初めからずっと出ていますが、これは本を積んで床から天井までのボリュームになります。それに一応全部目を通して、報告書を書いています。それは論文になっている、あるいは公式の文書となって出ているものを元に書いています。ですから、そこに出てくるのは全く事実です。

 我々が原稿を書くときに、実験データに基づいて、こういう方法で、こういう結果でしたという科学論文で原著と言われているものがあります。もう一つ総説というのがあって、いろんな人の原著論文を読んで、著者の考え方に基づいて書く方法があります。

 総説の方が、ある程度推論まで入って、私はこう考えるというのが書かれていますから、内容的にはずっと先へ進んでいる。それを原著論文で裏付けるようなものなのですが、ある意味では、総説のほうがその時点、時点の認識をきっちりと捉えているかもしれません。ですけれども、それは科学、サイエンスという意味からすれば、実際には取り上げてもらえないということがあります。

 初めの頃の歴史と言っても、私が大学卒業したのは昭和39年(1964年)でありますから、ウィルス肝炎のことが日本でいろいろ問題になり始めたのは、その10年以上前からで、その歴史を初めの頃からお分かりになっているのは、大阪でいえば、山本祐夫先生ぐらいであると思います。それから、その後、だいぶ後になって、大阪市立大学の門奈先生が肝炎をおやりになられています。それから、亡くなられた黒木先生、それから、今は林先生がウィルス肝炎をやっていますが、この人たちが肝炎の領域に登場し始めたのはずいぶん後になりますから、初めの歴史というのは、大阪ではやはり山本先生以外にはお分かりになる方はいないだろうと思います。

 そのような前置きで、報告書に書きましたことを中心に話していきたいと思います。肝炎の歴史上、1940年代、昭和10年代に流行性肝炎の人体実験を行っています。これをA型肝炎と言いますが、概念として、まず肝炎をAとBに分けます。それはどうしてか、人体実験あるいは集団発生したときの状況から、A型肝炎というのはウィルスが体に入って発病するまでの期間が非常に短いということなのです。どうやらすぐ治るらしいということです。B型肝炎は、当時はまだウィルスが特定されていませんでしたので、ウィルスと思われるものが体内に入ってきてから、肝臓が悪くなる。当時は黄疸が出るまでの期間が長い、時間がかかるということなのです。そして、どうも悪い状態が長引く人(慢性化する人)が多いらしいということが判ったのです。

 実際に問題になってきたのは、言葉の使い方としての考え方なのですが、血清肝炎という概念です。A型は集団発生が割にわかりやすい。ある時に感染して、集中的に起こります。B型にも集団感染がもちろんあるわけですが、実際にA型の方がはっきりした集団発生です。というのは、集団発生であっても、B型は潜伏期間が長いために、ぱらぱらと発症し、判りにくいということがあります。

 こういう血清肝炎という概念の中に、もう一つ、別の概念として出てくるのが輸血後肝炎です。輸血をした後、肝炎が起こってくる。こういうものが含まれています。慢性肝炎については、肝生検で肝臓に針を刺して調べることが行われるようになって判るようになりました。

 詳しいことは判りませんが、おそらく昭和20年代終わりから30年代の始め、この前お亡くなりになった新潟大学の市田先生らが、慢性の炎症を持つ肝炎があるということを発表したのです。その延長線上として、おそらく肝硬変がある、肝ガンがある、ということを、昭和27年頃、京都大学におられた天野重安先生が報告されたわけです。

 その翌々年になりますけれども、この輸血後肝炎がどうも日本にもあるらしい、しかもどうも多いらしいということが判ったのです。その後、輸血後肝炎が非常に問題となったのは、昭和30年代の半ば過ぎです。輸血をすると半分ぐらいの人には黄疸が出たのです。今の診断法から推定すれば、輸血をした人の70%から80%が肝炎になっていただろうと思います。

 というのは、今は皆さんどこでも検査できますが、GOTとかGPTの検査が日本で普通に使われるようになったのは、昭和37、8年ぐらい、早いところが研究室の段階で昭和35年ぐらいからです。輸血例でGOT・GPTを調べて、その結果、輸血後肝炎が非常に多いということで、昭和38年だったと思いますが、厚生省が血清肝炎研究班を作ったわけです。

 厚生省が予算をとって研究班を発足させるというのは、よほど社会的ないしは学問的に問題にならないといけないわけです。厚生省の役人がその重大性を十分に認識して、大蔵省と交渉して予算を貰うわけですから、厚生省の役人がこれは大したことはないなと思っていれば、我々がいくら研究費を付けてくれと言っていっても、役人が十分理解しなくては、大蔵省の役人は説得できない。説得できて初めてお金がでるわけですから、さきほど言ったように、ものすごい数の人が輸血を受けたら血清肝炎になっているという事実に基づいて、研究班が出来たわけです。

 次にその後の非常に大きな変換点は、B型肝炎ウィルスが見つかったということです。ウィルスが、つまりHBs抗原として見つかったのは、昭和42、3年です。私が医者になってしばらくした頃です。本当に多くの人がB型肝炎を認知したのは、診断が確立した昭和47年ぐらいです。それで全国的に肝臓を研究している施設で、全国的な調査が行われ、B型肝炎が大体わかったわけです。それからの6、7年間、B型肝炎に研究が集中するわけですが、そうしますと、輸血後肝炎の中のB型肝炎というのは、ごく一部は慢性肝炎になりますが、ほとんどが治ってしまうことがわかります。輸血後肝炎の慢性化率が非常に高いと言われていたのですが、B型肝炎は治ってしまう。そうすると、残りは何かということで、A型でもない、B型でもないので、非A非B(ノンAノンB)と言ったわけです。血清肝炎の中で治るのはB型肝炎で、慢性化するのはC型肝炎、当時は非A非B型です。そうではあっても、非A非B型肝炎でも一部は治るようだ。非A非B型肝炎は、それ以外は慢性になるわけですが、当時治ったと言っていたものの中に、実際には治っていなくて、一部はキャリアとなって残って、それから何年か、何十年か経って、慢性肝炎になっていた人もいたわけです。

 結局、日本で非A非B型肝炎と言っていたのは、A型、B型でもない、自己免疫でもない、薬によるものでもないと、除いていってのことです。この診断を厳密にやっていた施設では、C型肝炎ウイルスが見つかって、その診断法が確立したのが1992年ですが、そうなってから調べてみると、非A非B型と言われていた肝炎のほぼ99%がC型と一致しました。私の施設で診断したところ、ほとんど100%でした。

 ということは、国が何と言おうと、このように順次、肝炎研究の進歩に従って考えていくと、非A非B型肝炎、要するに輸血後肝炎からB型肝炎を取り除いたときに、非A非B型肝炎がどういう経過になるかということはすべて分かっていたことになります。非A非B型の慢性肝炎は、輸血後肝炎と、今も原因不明のどこで感染したのか分からないとされているC型肝炎の方がまだ半分はおられるわけです。こういう人も当時は非A非B型肝炎です。実際にはそれらの人も当時は血清肝炎と呼んでいたわけです。そういう人たちも、実はC型肝炎であります。ということで、C型肝炎の予後が分かったのはいつかといえば、B型肝炎が取り除かれた(判明した)昭和54年か55年の段階、ですから1979年から1980年の段階では、今でいうC型肝炎のことは、大体、自然の経過がわかり、経過がわかれば、予後がどうなるかということも判っていたわけです。

 私が学生の時、昭和30年代のおわりを振り返ってみますと、その当時私が受けた教育だけがそうだったとは思いませんが、肝臓の障害が慢性的に続けば、行き着く先は肝硬変であるという教育を受けておりました。そして慢性肝炎が肝硬変になる、それから肝臓にガンが出てくることに関しては、実はまったく抵抗が無く、初めから受け容れてきました。ですから、いつからそのように認識されたかと聞かれると、いつから、とははっきり分からないわけです。だから、それぞれの人が、さきほど申し上げましたような幾つかのポイント、変換点に、どのように肝炎に関する概念を認識したのかということ、それが歴史の上で一番の問題だろうと思います。

 このようなお話をしたことがないのものですから、もたもたするかもしれませんが、歴史的な報告を基に話します。先ほど少し、はじめの頃を話しましたけれども、昭和38年に日本肝臓学会の前身である国際肝臓研究会日本支部というところが、血清肝炎、輸血後肝炎が非常に多いということでシンポジウムを行っております。シンポジウムというのは、その学会で一番その時期に大事だというテーマを採り上げて、集中的に討議するという場です。ということは、血清肝炎の重大性の認識が、学会としての認識であったということです。

 輸血後肝炎が集団発生したことは、19世紀の終わりから知られていましたが、岡山大学の小坂先生、肝臓学会当初からの有力メンバーですが、その方がヒト血清を加えたワクチン注射、これはワクチンに血清を混ぜたものや、それからヒロポンの注射、輸血、プラズマ輸注、このプラズマを今は血漿と呼んでいますが、血液製剤の元になるもので、これで黄疸が起こること、そのような血液を使ったため、輸血とプラズマ輸注のような輸血後肝炎がどんどん増えているということが、昭和36年の雑誌「肝臓」に書いてあります。そして、慢性化することもあるとしています。当時は慢性化を決めるのは難しかったと思いますが、GOT、GPTの検査がこの頃から導入されてきていますので、このようなことが言えるわけです。つまり、異常が続いているから、慢性化しただろうということです。そこには、もうすでに慢性肝炎から肝硬変への進行例がある。つまり、予後が悪いということが書いてあります。予後は良いという人もいるけれども、予後が非常に悪いと思う、ということを小坂先生が書いています。それは、最初に説明しました科学的なデータにより、ある人が輸血後肝炎になった、それから肝硬変、肝ガンまで進行するということをずっと追っかけていくと、それは数十年を要することですから、そういう証明はできないですから、厳密に言えばサイエンティフィックではないのですが、たくさんの人の経過を見て、それを重ね合わせていくと、慢性肝炎から肝硬変へとつながる。一人一人は点にしか過ぎませんが、ずっと点をつないでいけば、どうも慢性肝炎と肝硬変は一直線につながるのです。一人の方の経過をたどって証明されるようになるのは、ずっと後になってのことです。

 厚生労働省が言いたいのは、一人の人をずっと観察してここまできた(肝硬変まで進行した)、あるいはこの先の肝ガンまでいったなど、何十年かかる病気ですから、そういう事実は捕まえられていなかったということです。しかし、だからと言って、通しで経過を見た例は1980年代の前半にならないと無かったのですから、我々は知らなかったということにはならないのです。

 それから、我々にとって非常に衝撃的であったのは、昭和37年に雑誌「肝臓」に、輸血を受けた人の3分の2が輸血後肝炎になっているということでした。私が医者になった頃ですから特に覚えています。輸血を受けた人のGOT、GPT検査結果を見ると、多くの人がキャリアになっている。要するに、その後ずっとウィルスを持ち続ける状態になっているのです。当時の売血で輸血を受けた人に黄疸が出てくる、あるいは輸血後肝炎になった人の数から、供血者の8人から9人に1人は肝炎のキャリアだということを、当時すでに推定しています。これは非常に意味があります。この報告はものすごくインパクトがあったわけで、輸血で3分の2が肝炎になっていたのです。それで、既に血液のどこに問題があるかということがその論文の中で提起され、供血者の中に麻薬、覚醒剤常習者が非常に多く含まれていたということが書かれてあります。だから、中毒者の中で回し打ちをしている注射、それが原因だということがそこに明確に書かれてあります。

 その後、つい先日亡くなられた上野幸久先生が同じようなことを、その同じ年、昭和37年に、外科手術をしたら3分の2が肝炎になっていて、慢性化率が非常に高い、そして慢性化すると肝硬変へ進んだという人たちがたくさん見られるということを報告しています。肝硬変の40例中8例が輸血後肝炎であって、輸血後肝炎というものは楽観出来ないものだということで警告を発しております。ですから、上野先生も供血者の10%ぐらいは肝炎があるのだということをお書きになっています。血清肝炎にしても、流行性肝炎と言われているものに関しても、どちらも追跡期間中に10%ぐらいの人は肝硬変になっているのです。慢性肝炎から肝硬変に進むということの実証がここでなされているわけです。

 そういうことが方々から報告されるようになって、昭和38年に血清肝炎予防に関する研究班が設置されるに至り、予防が非常に重要だという認識を厚生省が持ったという確たる証拠と考えて良いと思います。また、それは感染率が高い、慢性化率が高い、慢性化すれば肝硬変になるであろうと認識していたと思います。ただ、肝ガンまではその時には書いてありませんでしたが。そしてその後、よく知られていますが、昭和39年にライシャワー事件が起きて、ライシャワー米国大使が刺されて、輸血をして輸血後肝炎になられ、数十年して肝硬変になられて、私も一部診療に立ち会いましたが、最終的に彼は肝硬変になり、肝ガンになって米国で亡くなられているわけです。

 ここに雑誌をもってきましたが、これは、ちょうど私が卒業して、インターンをやっているときのものであります。この「内科」という雑誌は、当時非常に権威があった雑誌で、この年の7月号に「ウィルス性肝炎と輸血」という特集が組まれております。今は手に入らないと思いますが、この中には、その後の進歩で証明されたことがほとんど書いてあります。

 今考えてみれば、さきほど言いましたことを頭においてこれを読めば、「C型肝炎の感染、経過、治療について」としては書いてありませんが、血清肝炎の予防はどうすればいいか、血液の対策はどうすればいいのか、ということも全て書いてあります。もう一度これを見直したのですが、あまりに正確で的確に記載してあるので、驚くほどであります。ですから、わかっているいろんなことは、みんなが考えていたことなのです。今言われていることの大部分は、当時、みんなが判っていたというわけです。

 私の下の世代では、この辺のことは実感として分からないと思うので、特に詳しく話したわけですが、昭和43年にB型肝炎のウィルスが見つかる原因になったHBs抗原が発見されて、HBs抗原とB型肝炎の関係が分かったということです。

 その後、昭和47年に、今度は厚生省が難治性の肝炎調査研究班というものをつくりました。これも血清肝炎の成立の時に話しましたように、慢性化して治らない、しかも肝硬変、さらには肝ガンになる可能性のある病気が存在する、しかも、その数がどうも多そうだという認識があって、研究班が出来たわけです。初めのうちは、研究班の研究はB型肝炎がかなりの比重を占めていたわけですけれども、B型肝炎のことがどんどん分かってくると、逆にB型肝炎ではない肝炎、非A非B型肝炎の存在が大きく浮かび上がってきたわけです。

 そのようなことがありまして、私が実際にタッチするような時代になって、事実として出てくるのは、難治性の肝炎の昭和49年(1974年)の研究報告書です。ここには、HBs抗原がない人、慢性の肝臓病の人の大部分が非A非B型肝炎と推定されると明確に書かれています。特に翌年の昭和50年(1975年)には、輸血後肝炎の大部分が非A非B型肝炎だとされ、その報告書の中で、この対策が最重要課題と明確に書いてあります。当時、それだけ重大視されたわけです。そういうことがありまして、1976年、難治性の肝炎研究班では、非A非B型肝炎分科会がつくられ、ひとつ別にこれを取り上げて、集中的に研究しなければいけないという認識ができているわけです。そういう分科会を作ったということは、厚生省が、輸血後の非A非B型肝炎は慢性化する可能性が高く、肝硬変へ進展する可能性があることを認識しているということです。

 それともう1つは、無症候性キャリア、要するにGOT、GPTが正常であってもウィルスを持っている人が存在するのだということが、その時にすでに記載されています。ウィルスが見つからなくても、GPTが正常な人からの血液によって輸血後肝炎が起こるという事実から無症候性キャリアの存在は推定できたわけです。その後1978年の報告書では、慢性肝炎の40%、肝硬変の30%が非A非B型肝炎であるとしています。今から考えると随分比率は低いと思いますが、この後どんどん増えていくのです。最終的に今では、慢性肝炎のうち、70%から80%が今で言うC型肝炎です。さらに、肝硬変の60~70%がC型肝炎です。この間(1978年以降)、それだけ慢性肝炎、肝硬変に占めるC型肝炎の割合が増えたということです。当時からB型の数は全然変わっていませんから、将来、非A非B型肝炎の比率はどんどん上がっていくということが、もうすでにこの時代、1978年に予測されていたということになります。ですから、昭和53年には現状がちゃんと正確に予測されているのです。

 このC型肝炎の大きな流行は静岡県の興津肝炎が最後ですけれども、これが問題として取り上げられたのは昭和53年です。それまで皆がウィルスの存在を考えてはいたのですが、この時、病気を起こす原因が臨床的に見て、ウィルス感染症が強く疑われたのです。例えば、輸血を受けた人が後で肝炎を起こした、それで血液の中に何かあるのではないかということ、それはあくまでも推測ですけれども、チンパンジーに患者さんの血液を注射して、肝炎が起こるということから、その血液中にウィルスがいるということを積極的に証明したのが1979年です。つまり、非A非B型肝炎がウィルスで起こっているということの確たる証拠が得られたのが昭和54年(1979年)です。その後、透析していて感染が起こる人が多いというのも、B型肝炎じゃなく、非A非B型であるということも言われております。興津肝炎も初めは判らなかったのですが、いろいろ調査されて、結局、今で言えばC型肝炎ということがチンパンジーの接種実験で証明されているわけです。

 1982年になりますと、チンパンジーへの接種により、感染しただけでなくてキャリアになることが確認されました。その後、人間のそういう状況がハッキリと確認できたのは、1982年の報告書によります。昭和57年(1982年)には、非A非B型肝炎の追跡によって、肝硬変、肝ガンに進んだ人が確認されているのです。ですから、非A非B型肝炎というのは肝硬変、肝ガンの重要な原因であるということが、昭和57年(1982年)には報告書の中に明確に書いてあることになります。ここで非A非B型は、C型と言わなくても、先ほど言いましたように最終的には同じになるわけですから、C型肝炎が肝硬変、肝ガンの原因だということになるわけです。

 ちょうど昭和57年から、厚生省が肝炎連絡協議会という新しい肝炎研究班を作りました。当時としてはかなり大規模な研究班を作り上げたわけです。それは何故かと言いますと、今まで述べた血清肝炎予防、難治性肝炎、それから肝炎連絡協議会という研究班を立ち上げてきた中で、この時の予算が1億円以上つきましたから、それもよほどのインパクトがなければそんなことは起こりえないわけですね。そういう転換期があるわけです。ちょうどその時から、私がその事務担当になりました。昭和57年のことです。

 それから1983年になると、非A非B型肝炎は30%から50%が慢性化し、慢性肝炎から肝硬変、肝ガンに進展するということが、ここで明瞭に書かれています。それで、先ほど1つの線としてつながらなければ確実な証拠にならないということを言いましたが、はっきり証明されたのは、これは高年齢の方だったと思いますが、輸血後肝炎から3年余かけて肝硬変に進んだという症例報告が、昭和58年(1983年)に雑誌「肝臓」に記載されたことによります。

 昭和60年(1985年)の報告書では、将来日本では非A非B型肝炎による肝硬変、肝細胞ガンがものすごく増加するだろうということが一番の問題点だという報告されています。

 それから、肝硬変、肝ガンの中での非A非B型肝炎の占める割合がどんどん増えてくるという推測が昭和61年(1986年)に報告書に書かれていまして、非A非B型では母子感染もあるとか、当時インターフェロンがB型肝炎治療に認められた後に、今のC型肝炎に対してもインターフェロンに効果があるという報告が研究班の報告書の中に記載されています。

 最後のキーポイントですが、我々は、実は非A非B型肝炎が慢性化して、つまりC型肝炎が原因で慢性肝炎から肝硬変、肝ガンへと移行する人がどんどん増えていくということを考えていましたので、これを予防するためにはウィルスを特定しなければいけないということで、実は1987年以前からずっと何年間にもわたって、毎年厚生省に行って、関連所轄の官僚の人に集まって頂いて、肝炎の話を1時間か2時間いつもやっていたのです。非A非B型肝炎が非常に重要であり、ウィルスを特定しないと先へ話が進まないので、大型の研究費を出してくれと交渉していたのです。当時、B型肝炎のウィルスが見つかって十数年経つが、非A非B型のウィルスを世界中の研究者が追いかけても捕まらないということで、当時、1年間に1億何千万、5年間予算をもらっても見つからないので、年間5億円研究費を出してくれと、5年間あれば、このウィルスを必ず見つけると厚生省と交渉しました。当時は感染症対策室だったと思いますが、担当官にそういうことを話して、その担当官も良く理解してくれて、厚生省から出るときには年間3億5千万に減って、大蔵省からは研究費として年間1億5千万のお金が出てきたわけです。これだけのお金を、今度は非A非B型肝炎に的をしぼった形で研究費が出てきている。これも、よほどのことを厚生省の担当官が認識しなければ大蔵省は説得できなかったはずです。ですから、十分その時点でも認識があったはずと私は理解しています。結局、予算が実際に計上されるのは、前の前の年度から話が始まって、前年度に話がついて、そして研究班が発足してからなのです。それが1989年であったのです。ウィルスはそのちょっと前に見つかったわけですが、専門家も含めて多くの人は、研究班が発足する少し前にC型肝炎ウィルスが見つかったから、国が非A非B型肝炎の研究費を出したと思っていますが、実際は、予算のつき方や制度からするとそんなことはあり得ないので、その前からそういうことは分かっていたということになります。そんなわけで、一応C型肝炎の7割は診断が出来るようになったのは1989年で、平成になってから一般的に診断できるようになりました。天皇陛下が亡くなられる時、輸血を行うにあたり、実はスクリーニングをやっていますから、その後一般に献血者のスクリーニングを始めたのは平成に入ってからです。

 厚生労働省がごちゃごちゃ言うかもしれませんが、そのような経過で、ちゃんと筋道を立てて考えれば、何もC型肝炎ということを特定しなくても、肝炎の中から、B型、自己免疫を取り除いて、非A非B型といった名前が出てきた時点で、日本では非A非B型の慢性肝臓病はほとんどが肝硬変や肝ガンになるわけですから、いろいろ言ってみても、非A非B型肝炎をC型肝炎と言っているのと同じことだと私は思っています。

 最後に「治療のことも」という依頼もあったので、治療の話をします。治療に関しては、大阪には林先生もおられるし、大阪市立大学の西口先生もいますし、いろいろたくさん立派な先生がいます。ですから、あえて私が大阪に来て、C型肝炎治療の話をするまでもないと思います。いずれにしても、1986年ぐらいからインターフェロン療法は始まって、1989年に難治性肝炎研究班の治療責任者になったのが私ですが、インターフェロンの班長になってすぐやったことは、インターフェロンが効いたのか効かなかったのかをどうやって判定するか、効果の判定基準を作って、日本でインターフェロンをこう使えば良いということを決めた訳です。それはその後の歴史を考えてもらうとわかりますが、日本の治療成績は欧米に比べては6、7年先行した結果であったのです。

 今日会場に患者さんがおられれば、インターフェロンをやられた方もおられるかもしれませんが、厚生省がかなり作為的に、インターフェロンは効果が無くて、高くて、副作用が強いということを、わざわざ医療経済研究機構というところを使って報告書を出させています。その研究報告書に書かれている結論の根拠になっている成績のかなりの部分は、もう既に正しくない、要するに歪曲してデータを使ったということは証明されています。当時の医療経済研究機構には抗議文を送ったのですが、簡単に一蹴されました。ですけれども、副作用も当初から比べますと、我々としてはインターフェロンを使い慣れたので、対応策が随分わかってきましたし、どういうことが起こるかも分かって、患者さんが非常にきつい目にあうことも良く理解しています。やはり、元を絶つ治療というのは、どんな病気でもそうですが、やっぱり苦痛を伴うわけです。私も手術で腹を切りましたけれど、腹を切れば何年間も時々痛みが起こるし、やはり調子悪いです。同じように原因を取り除こうとするときには、どうしても、ある程度の苦痛は伴う。ですから、インターフェロンに関しても副作用があることは御了承願えればと思っております。それから、結核の治療の歴史を考えてもらうとわかりますが、結核も原因療法、原因を取り除く治療ですけれども、はじめの頃は多くの人がストマイ難聴になったわけですね。だから、原因療法の始めというのは、どうしても副作用がある程度存在するのです。

 インターフェロン療法も時間と共に治療が進歩していって、副作用が減ってきています。今の持続型のPEGインターフェロンとなりますと、同じ効果を示す量であっても、PEGインターフェロンの方が明らかに副作用は減っています。それと、リバビリンとインターフェロンを併用するリバビリン療法というのが、日本でもこの1年数ヶ月前から実施できるようになりました。また、リバビリンにはインターフェロンとは別に貧血を起こす副作用がありますが、この治療ではインターフェロン投与量を減らすことができるので、インターフェロンの副作用を減らすことが出来るのです。

 それからもう1つ、これは国の責任がかなり大きいと思うのは、長い期間、インターフェロンによるC型肝炎治療も1人1回に限るとか、半年に限るとか、使い方を非常に縛ってきたことです。B型肝炎におけるインターフェロン療法の時もかなり文句を言ったのですが、全然相手をしてもらえませんでした。治療というのはすべてそうですが、ある治療法が出てきたときに、その薬をどう使うかということをそれぞれの医師が工夫していって、治療が進歩していくものなのです。型にはめていけば、それなりの効果は出るかもしれませんが、それ以上の効果は出てこないと思います。あるいは、1人1回ということで、医者からみれば、最善のことをしないと、万一効かなかったときにそれが自分の治療のやり方が間違っていたのではないかと患者さんから思われるわけです。患者さんからそれを言われたら、我々は答えることができないわけです。それを避けるためにも、その期間に目一杯インターフェロンを使うわけです。ところが、今考えてみますと、当初外国と違って、日本では短期間で集中的にインターフェロンを使ったために、外国に比べて遙かに日本の成績が良かったのですが、途中から以降は、私の反省点として、なかなかそういう勇気が出ませんでしたが、インターフェロンはかなり使用量を減らせるはずだと思っていました。インターフェロンの量を減らせば、副作用は確実に減ります。

 インターフェロンとリバビリンとの併用になりますと、使い始めは1000万単位とか600万単位から使いますが、その後の結果から、300万単位で十分効くだろうと思います。半年に区切られたことで、初め集中的、その後も目一杯やっていたのですけれども、1年間使って良いということになりますと、途中からぐっと量を減らしても、同じ効果がおそらく得られると思います。だから、リバビリンも使用期間の制限がなくなると、インターフェロンは外国と同じ300万単位で行えるのです。

 今、現に続いているのはリバビリン併用の問題です。今のところウィルス量が少ない人たちにはリバビリン併用療法は出来ませんが、実は、ウィルスが少ない人は、インターフェロン単独で治療する場合、ウィルスの遺伝子型にもよりますが、有効例は良くて70%いかないだろうと思います。このウィルス量が少ない場合、リバビリン併用を行えたら、おそらく80%以上が有効になるかもしれない。10%なり20%の人がインターフェロン単独療法であったために、ウィルスが消えないままに治療が終わったということになります。

 それからさらに、今の問題として、ウィルスの遺伝子型が1bの人たちは6ヶ月で治療期間を切っていることです。6ヶ月間でウィルスが排除できる効果は、再治療を除けば、初めての人だったら25%ぐらいいきますけれども、再治療を含めれば20%です。1年間、1b型遺伝子の人で特にウィルス量が多い人だと、1年間投与が許可されれば40%は越えるだろうと思います。しかしこれは今、健康保険上、認められていません。まだまだ治療は進んでいく余地があるのです。

 ですけども、最終的に、今あるインターフェロン、それからPEGインターフェロンを使ってもウィルスを排除できるのは、1年間使ったとしても、効果のある人は60%ぐらいまでにしかならないだろうと思います。ということは、残り40%の人はインターフェロンでウィルスを体内から排除することは出来ない。しかし、大事なことは、他の慢性病である糖尿病にしても高血圧にしても高脂血症にしても、病気の進み方を遅らせるという治療しかないということです。慢性病を根本的に治すことが出来るのは、感染症に限られるのです。それも結核、次にC型肝炎ですね。他の病気は進み方を遅らせているだけで、糖尿病もよほど本人が節制しない限り終末は腎臓が駄目になるか、心臓が駄目になるか、脳の血管が駄目になるかということなのですね。それから考えると、C型肝炎というのは、これも病気が進むのを押さえる治療が日本にはいろいろあるわけです。インターフェロンの使用制限が撤廃されまして、まだ十分なデータが手持ちに無いのですが、1日300万単位、あるいはもっと少なくて良いだろうとは思っています。今許可されている最小量が300万ですが、人によっては100万単位でもGPTが正常になる人がいます。ですから、今使うとすれば300万単位です。本当はもっと少ない量で週3回ぐらいずっとやっていけば、GPTが正常になる人が出てくるのです。GPTが正常になるということは、その時点で肝ガンが出来ていなければ、ずっとその後GPTを正常にし続ければ、その人はおそらく肝ガンへ進行しないし、慢性肝炎の段階であれば肝硬変にもならないということになるのです。

 それから、ちょっと大変ですが、強力ミノファーゲンCも、初めは毎日使って肝炎を徹底して抑えてしまえば、段々時間と共に注射の回数を減らすことが出来ます。よくやられているのは、週3回ぐらいから始めます。それではあまり効かない。大変ですが、初めは徹底して毎日注射するのです。そうしますと、非常にいい人の場合は、最終的には注射なしでもいけるようになります。とにかく、まず徹底して炎症を抑えるということを行えば、初めは大変ですが、後はずっと楽になります。それから、GOT、GPTの値が軽い異常の方、60~70ぐらいまでの人だったら、ウルソを飲むだけでも良いです。

 もう1つ、C型肝炎というのは、どうしても血液中の鉄分が増えてきて、そのために肝臓を悪くしているという部分がありますから、瀉血療法というのがあります。これは献血と同じように血を抜くわけです。献血は2ヶ月ぐらい開けないとやってはいけないのですが、これは逆に軽い貧血になってもらうために、2週間に1度ぐらい採血する。体は貧血になりますから、一生懸命赤血球を作る、そして肝臓にたまった鉄を使う、結果として肝臓の細胞が丈夫になって、体の鉄が減ってくるとGOT、GPTが急激に下がってきます。十分鉄分の量を減らしていくと、半年とか1年ぐらいGPTを低い値で続けられるという治療であります。C型肝炎の人はどちらかというと、血の多い人、貧血ではない人が多いので、わりと行いやすい治療です。私も血を採るということに抵抗を感じるので、やりたくはないのですが、他にあまりうまい治療法が無いときに行っています。これも保険で認めて欲しいと言っていますが、まだ認められていません。

 治療の話ではあまり出てこないような治療の話を最後にしました。これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。