寄稿 血液新法の制定にむけて | ネットワーク医療と人権 (MERS)

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寄稿 血液新法の制定にむけて

≪筆者≫ 大阪HIV薬害訴訟原告団 代表  花井 十伍


 薬事法及び採血及び供血あっせん業取締法の一部を改正する法律が国会(第154回通常国会)に提出された。私たち、HIV訴訟原告団は弁護団とともに、薬害エイズは血液行政のゆがみが引き起こした悲劇であるとの認識のもと、血液事業法の制定を求めてきた。当初から10年以上の歳月が経過したなかで、血液事業をとりまく環境はさまざまに変化し、具体的制度論においては変節が無かったわけではない。しかしながら、献血による国内自給の達成、消費者主権、遡及調査体制、安全監視体制の確立、無過失無欠陥救済制度の創設といった基本的部分においては、なんら変わるところはない。本稿では、この十年の変化を踏まえつつ、今回の政府案に私たちの主張がどのように反映されているかを検討する。

献血による国内自給

 周知のとおり我が国の血液事業は民間採血業者の買血によって出発した。法律的にも買血全盛の血液事業を前提とした「採血及び供血あっせん業取締法」が1956年に制定されて以来、1960年代初頭に我が国の買血依存の血液事業が諸外国から強く非難され、ライシャワー氏の肝炎罹患事件を契機に献血による国内自給の閣議決定がなされたが、法整備は為されないまま現在までに至っている。その後、日本赤十字社、献血募集民間組織等の必死の努力の末、1974年には、輸血用血液製剤の献血による国内自給は達成された。しかし、時代は血液の血漿部分を成分ごとに精製する血漿分画製剤全盛へと移り変わっていた。献血推進キャンペーンが買血イコール血清肝炎という図式とともに行われた事からすると、血液の商品化を血漿プールの拡大とともに推進していった米国からの原料血漿や製品輸入の飛躍的増加が進む中で、薬害エイズ発生の基本的条件は準備されていたことになる。

 献血による国内自給の達成は、倫理的理由と安全監視の二つの側面から支持された。献血による国内自給の達成がなされていたなら、薬害エイズの発生は防止することができた、との思いもある。この点に関して私たちは、薬価差による過剰需要をなくさないかぎり、価格競争力を有する海外の製剤に国内献血由来の製剤が席巻されてしまうことから、血液製剤供給の一元化を主張してきた。今回の法案においては一切現在の供給体制を改める規定は存しない。国内自給の達成は改正採血及び供血あっせん業取締法である「安全な血液製剤の安定供給の確保等に関する法律」の基本理念において原則として国内献血を原料とすることが規定されているに過ぎない(安全血液法第3条)。これだけでは何ら実効性は無いと言わざるを得ない。私たちは、国の政策責任として国内自給の達成を盛り込むべきであると今なお主張しつづけている。国は基本方針を定めるとともに毎年需給計画を薬事・食品衛生審議会の意見を聞いて策定し(安全血液法第9条、第25条)、実績報告の結果、自給計画に照して著しく適性を欠くと認めるときは、勧告できる(安全血液法第26条)意味において、国の責任は明確であると説明している。しかし、実際に過剰に輸入したからといって輸入抑制勧告を行うというのは、どう見ても困難であるし、第八因子製剤に関して言えば、輸入遺伝子組替製剤が主流になりつつあり、不足分を献血血漿で賄うだけの自給計画になりかねない。また、画期的条文と自讃する医療機関の適性使用の責務も努力規定にとどまっている(安全血液法第8条)。

 国内自給に関する議論は、市場原理と公衆衛生原理または合理性と倫理性の対立として、そして安全性に関しては、それぞれの国の監視体制と国際基準やリスク分散の論理などが交錯しながら続けられている。欧州においても血漿分画製剤を医薬品として取り扱うとともに、各国の自給からEU域内自給に拡大した1989年のEU指令の見直しが現在行われており、再びこうした議論が大きく振幅をともなってなされている。英国が安全確保のために血漿輸入に踏み切った事実も議論に大きな影響を及ぼしている。

 私たちは、緊急的輸入やどうしても国内で製造不可能な希少免疫グロブリンの特例輸入の問題と臓器に準じた人の血液を一般の医薬品と同様に扱っても良いと言う主張を混同すべきではないと考える。

消費者主権

 輸入血液製剤とエイズの関係が疑われた1982年末から1983年半ばにかけての重要な政策判断にもっとも利害関係を有する患者が何ら関与する余地がなかったことやそれぞれの患者も十分な説明を受けて治療を選択する機会を与えられなかった事は、重大な過ちである。前者においては当事者の意見の存在がより適切な判断に不可欠であるとの認識の欠如であり、後者は、命にかかわる利益衡量は最終的には個人の判断に求めるしかないのが基本原則であると言える。

 今回、薬事・食品衛生審議会の血液製剤部会への患者代表の参加を委員会答弁で確約していることは前者に関する一定の前進と言える。しかしながら、当該部会は、主に需給に関連する部会であり、安全に関する感染症報告(新薬事法第68条の8、安全血液法第29条)はいわばオプションである。国は事実上安全に関連する事項も報告することになると説明するが、審議会運営の問題点も含めて今後の課題である。また血液製剤を使用する医療現場において、医師のインフォームドコンセントの努力規定(新薬事法第68条の7)とともに、血液製剤のラベルに原産地の表示を行う事(新薬事法第68条の3)としている。私たちは、ラベルに「有償採血」表示も併せて行うべきであると主張している。

遡及調査、安全監視体制

 血液製剤の安全監視体制は供血者から患者まで一貫した監視体制が速やかに機能することが求められることから、一般医薬品とは独立した体制が必要であると繰り返し主張してきた。しかしながら、今回の改正案は、従来どおり医薬品としての安全確保規定に、あらたに生物由来製品に関する加重規定を置くにとどまっており、製造販売業者の報告義務と記録の保管義務(薬事法第42条1項、第14条2項4号、第77条の4外)等によって対応しようとしている。現在我が国では、日本赤十字社が献血者単位のサンプルをすべて冷凍保管しており、原料血漿に関しては、6カ月間の貯留保管の後に使用している。私たちは血液製剤の輸入が必要だとしても、少なくとも供血者まで遡及できない血漿の輸入は禁止すべきであると主張している。国は一応その方向で検討している旨を説明しているが、省令以下に規定されることになる。薬害ヤコブの問題は医療用具にも生物由来固有のリスクの存在を明らかにした。また、バイオテクノロジーの飛躍的進歩は動物由来細胞の医薬品への利用を多様化し、新薬事法の生物由来製品の新規定は基本的には評価できる。しかし、バイオ関連知的所有権の海外独占の現状において、血液製剤とその代替医薬品の規制は国際基準から一歩踏み込んだ各国独自の規制を置くことが、逆に重要になっていると考える。こうした視点から、厚生大臣直轄の危機管理可能な血液製剤安全監視委員会の創設を強く求めてきたが、今回の法案には盛り込まれていない。私たちは、この委員会には局を横断した担当者、疫学者、消費者等によって構成すべきであると主張しているが、国は前出の部会と厚生労働省内規による対応で十分としているが、肝炎対策の例をみても大いに疑問である。

救済制度

 血液製剤は常に未知の病原体の混入のリスクに晒されており、運悪くそうした病原体によって罹患した患者を運が悪かったとすることは、薬害エイズの当事者としての体験から容認できることではない。今回、生物由来医薬品全般に関する救済制度の実現を本国会において厚生労働大臣は次期国会での実現を確約しており、薬害ヤコブの和解確認書にも明記されている。こうした事から、なんらかの救済制度は実現しそうな情勢である。しかしながら、現行の副作用被害救済制度の改定をもって対応するとすれば、現行制度の問題点をこの機会に徹底的に見直すとともに、あらたな生物由来医薬品に関しては特に認定基準、認定法を最大限患者の視点に立った利用しやすい制度とすべきであろう。なんらかの救済制度が必要との総論に誰も異論がでないにもかかわらず、実現しなかった最大の理由は、言うまでもなく財源と一般の副作用以上に困難な因果関係の証明基準にある。これら中身については、今後検討であり予断は許さないといえる。


 これらすべてを網羅し、かつ医療従事者や医療施設責任者の責務を包含した「血液基本法」制定の悲願は、医師法、医療法の一般規定と今回の改正薬事法、安全血液法そして来年上程されるであろう医薬品副作用被害救済法改正法に分断される形になってしまった事は本当に残念である。しかし、本稿の結語を感慨の言葉で終わることはできない。時代は常に制度の先を歩いており、その空隙で多くの悲劇がくりかえされてきた。バイオテクノロジーに関する特許を欧米の売上高200億ドルを越える巨大な企業体に独占され、それらの企業活動として生み出される新薬の審査体制は質的にも規模的にも大きく欧米に遅れをとっているのが現状である。こうしたなかで、法律改正により認定海外企業の査察を行うにせよ、まともな査察は不可能である。我が国の審議会において専門家と称する委員の多くは、現場を離れた“偉い”方々であり、現場の専門家においても医薬品に関する最新専門知識の多くをメーカーのMRから得ているのが実情である。本当に国民の安全を守るためには、人材の育成が急務であり、血液事業に関しては、法律のみならず民間企業の活動への制度的支援も射程に入れる必要があろう。先の、遺伝子組み換え第八因子製剤の輸入停止問題は従来の行政指導方式の限界をあらわにした象徴的な出来事であった。

 献血は人間が同じ人間に対して善意にもとづいて提供される贈り物である。この基本に立つかぎり、市場主義と対立する部分が消えてしまうことはないだろう。今回は触れることができなかったが、血漿配分の在り方も今後の課題として積み残された。この問題についての検討会が設置される方向であると言う。「血液は臓器か薬かという」古くて新しい議論は、EUでも我が国でも続いている。