寄稿「B型肝炎訴訟の原告となった私の思い」 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

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寄稿「B型肝炎訴訟の原告となった私の思い」

 

≪筆者≫

 

辰巳 創史 (B型肝炎国賠訴訟・大阪原告)


 

 

 

 はじめに

 私は現在36歳ですが,ときどきあと何年生きられるのだろうかと漠然と考える事があります。なぜなら、私はB型慢性肝炎だからです。肝炎との闘いは、純粋に病気との闘いだけでなく、死への不安や、差別・偏見との闘いでもあります。この度、私は実名を公表して原告となりました。実名で提訴することによって、少しでもB型肝炎患者に対する偏見がなくなり、また患者の苦しみをより身近に感じていただければと思っています。

 感染発覚の経緯

 私が最初に肝炎と診断されたのは、中学3年生か高校1年生ころでした。風邪か何かで家の近所の病院を受診し、血液検査をして、肝機能の数値が正常より少し高かったので、再検査すると、ウイルス性肝炎であることがわかりました。
 ウイルス性肝炎がどういう病気かよくわからなかったのですが、将来的には肝硬変や肝癌になるリスクが高いと聞かされ、驚きました。母親も検査をしましたが、母親は感染していませんでした。私はそれまで手術や輸血をしたことはなく、どこから感染したのかわからず、医師も首をかしげていました。
 母親は、私がウイルス肝炎にかかっていると知って、かなりのショックを受けていました。幼少時に感染した可能性が高いと医師に言われて、自分がきちんと私を見ていれば感染しなかったのではないかと自分を責めていました。

 最初の急性増悪

 その後、何事もなく大学を卒業し、25歳から27歳までは塾の専任講師として忙しく働いていました。
 しかし、自分がB型肝炎であることは常に意識していました。医師から肝硬変、肝がんに移行すると言われていたので、どうせ他の人ほど長くは生きられないんだという気持ちがどこかにあったからでしょうか、長期的な人生の展望をいだくことを意識的に拒否して、我ながら、直情的で短絡的な行動をとることが多かったと思います。深酒をし、暴れ、道で酔いつぶれたときも、結果として死んだらそれでもいいと思っていました。
 28歳のとき、病院の事務職に転職しました。29歳の6月ころ、午前中の受付業務をおこなっている途中に、院長からすぐに診察室に入るように言われました。診察室に入ると、院長は、5月に実施した職員検診の血液検査の結果を示しながら、「辰巳くん、すぐに入院しないといけないよ」と言いました。検査結果を見ると、GOT1)が287(正常値8~35)でGPT1)が465(正常値4~32)でした。これほど高い数値は、「パニック値」と呼ばれています。採血をし、至急で再検査依頼を出しました。FAXで返ってきた検査結果は、GOTが370でGPTが582でした。職員検診から1ヶ月ほどしか経っていないのに、かなり悪化したことになります。
 入院となりました。主治医の話では、とにかく安静と毎日の注射くらいしか治療法がないとのことでした。大嫌いな注射を毎日されると思うと、それだけで憂鬱になりました。毎日毎日注射をされると,腕全体が重だるくなり、針を刺す場所もなくなってきました。
 GOTの数値が100を切ったら退院してもよいと言われていたので、週に1回の血液検査の結果が楽しみでした。しかし、期待は何度も裏切られました。GOT200くらいまではわりとすぐに下がったのですが、それ以下にはなかなか下がりませんでした。ひたすら安静にせよといわれていたので、ベッドの上で出来るだけ何もせず、じっと我慢しました。それでも、数値がほとんど下がっていないと、心底がっかりしました。
 結局、7月初旬まで入院して、GOTが118くらいまで下がった時点で、無理を言って退院しました。
 それからさらに1ヶ月ほど休職して、やっと仕事に復帰しました。復帰しても、しばらくは注射を打ちながらの勤務でした。
 退院からしばらくすると、再び肝機能の数値が上昇し始めました。主治医は、ウイルスの増殖を抑制する薬があるのだが、いったんこれを飲み始めたら、一生飲み続けなくてはならなくなる可能性がある。また、ウイルスに変異株が出来て、薬が効かなくなる可能性もあるので、出来るだけ安静と注射で対応するほうがいいと言いました。しかし、このまま入退院を繰返していては、社会復帰できなくなるのではないかとの不安があり、私は、その薬で治療してくださいとお願いしました。それはラミブジン(商品名・ゼフィックス)という薬で、恐ろしく薬価が高い(1錠約620円)薬でした。しかし、命には代えられないので、1日1錠ずつの服用を開始しました。幸い、ラミブジンはよく効き、肝機能の数値は劇的に改善して安定的に2桁になりました。
 しかし、肝機能の数値は、肝臓がどれだけ破壊されたかを示すものなので、このときかなり長期に高い数値が続いたので、それだけ肝硬変、肝がん、死へとググッと近づいた気がしました。これまでも、ずっとどうせ他の人よりも早く死ぬと思っていたので、自分の死については鈍感になるよう自分に意識付けていたのですが、このときは少しだけ「死ぬのは怖いかも」と思いました。


1)・・・GOT(AST)とGPT(ALT)はともに、体の重要な構成物質であるアミノ酸の生成を触媒するトランスアミナーゼという酵素のこと。肝細胞をはじめとする細胞が障害を受けると、その血中濃度は上昇する。(参考:特定健康診査ナビ

 再度の急性増悪

 2004年3月、私は病院を退職し、弁護士を目指して同年の4月から法科大学院に進学しました。その年から法科大学院と新司法試験という新しい制度がスタートしました。
 その年の2月くらいに引いた風邪が6月を過ぎても治らないので、おかしいなとは思っていたのですが、授業を休めばついていけなくなると思い、ついつい病院には行きませんでした。無理がたたったのか、6月の血液検査では再びGOTの数値が上昇しました。医師の話では、おそらく変異株が発生して、それが悪さをしているのでしょう、とのことでした。精密検査をすると、やはり変異株が発生しており、即入院となりました。私は勉強道具をダンボール2箱に詰めて病室に持ち込みました。入院しても、安静にしている余裕はなく、大学院の友人に授業の範囲を聞いて、ベッドで必死に勉強しました。期末試験の直前に、なんとか数値が落ち着きを見せ、毎日注射を続けることを条件に退院することができました。

 3度目の急性増悪

 3度目の急性増悪は、なんとも間の悪いときにやってきました。2007年5月に新司法試験を受ける予定だったのですが、試験まで5ヶ月しかない2006年12月に肝機能の数値が上昇したのです。正月明けの1月には期末試験があり、卒業できなければ新司法試験も受けられないので焦りました。
 また病室にダンボール2箱の勉強道具を持ち込んで、朝の注射のとき以外はひたすら勉強しました。安静にしないといけないのはよくわかっていましたが、ここで勉強を中断してしまうと、今までの努力が無駄になってしまう、寿命が縮まっても仕方がないと思い、夜遅くまで勉強しました。午後10時の消灯後は同室の患者さんに迷惑になるので、電気スタンドと勉強道具を病室から持ち出して、ナースステーション前の共同スペースで勉強しました。12月24日のクリスマスイブには、共同スペースにクリスマスツリーが飾られるのですが、その電飾の下で深夜2時、3時まで勉強している様子を医師が見て、「奇妙な光景ですね。無理をしないでくださいと言っても無駄なのでしょうね」と言いました。
 年が明けても、肝機能の数値は十分には下がらず、1月の期末試験のときは、外出許可をもらって、病院から登校して、試験を受けて再び病院に帰ってくる毎日でした。
 GOTがせめて2桁にならなければ、退院できないとのことだったのですが、100を切ることはなく、主治医に無理をいって退院させてもらいました。新司法試験直前で、時間が1分でも惜しい時期だったのですが、毎日車で病院に通って、注射を打ちました。このころには、注射は限度いっぱいの5アンプルに増えており、一見点滴と見間違うほどの量でした。
 新司法試験が近づいてきても、数値が下がらないので、私から主治医に、変異株にも効果があるアデホビル・ピボキシル(商品名・ヘプセラ)を処方してもらうようお願いしました。これもゼフィックスと同様、いったん飲み始めると一生飲み続けなければならない可能性が高いので、ギリギリまで注射でコントロールする方がいいと主治医は言っていたのですが、結局処方してもらいました。このときは、死ぬのは仕方ない、しかし今は困るという気持ちでした。
 ヘプセラも薬価の高い薬で(1錠1250円)、ゼフィックスやその他の薬と合わせると、月の薬代だけで2万円を超えるようになりました。

 おわりに

2009年8月11日、大阪・難波駅前で被害を訴える辰巳創史氏

 その後、私は、なんとか新司法試験に合格し、弁護士になることができました。しかし、B型慢性肝炎は完治しておらず、いつ、ヘプセラに対する変異株が発生するのか、発生した場合に増殖を抑える薬が開発されるのか、いつ急性増悪になって入院することになるのか不安です。入院すると、日常生活も、仕事も、全くできなくなり、ひたすらベッドの上の人になってしまうからです。
 今、死ぬことが不安なのかと言われると、正直、よくわかりません。15歳ころに、この病気を治す方法がない、将来的には肝がんになるリスクが高い、と言われ、そのことを常時意識しながら年齢を重ねていくと、人間の感情はどのようになるものなのでしょうか。私の場合は、「自分の死」というものに対して深く考えることを拒絶しているのか、それとも、ずっと考え続けた結果なのか、「自分の死」そのものには恐怖も悲しみも失ってしまっていました。
 私には、今、妻と1歳になる娘がいます。娘ができて、月並みですがこの子が成人して独り立ちできるようになるまでは生きていたいと思うようになりました。また、娘が物心つくまでに、B型肝炎に対する偏見や差別をなくしていかなければ、私が実名を出している以上、いじめられるかもしれません。
 私と同じような苦しみと終わることのない不安をもっている人がたくさんいます。その感染原因が、幼児期の法律によって強制された集団予防接種です。私やB型肝炎の患者が、苦しみと不安から解放され、少しでも安心して生活ができるようにしてほしいと思います。その一助にでもなればと思い、実名での提訴を決意した次第です。