医療現場は薬害を防げるか!?:第1部  講演 小林アキラ氏 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

Newsletter
ニュースレター

医療現場は薬害を防げるか!?:第1部 講演 小林アキラ氏

医療シンポジウム「医療現場は薬害を防げるか!?」
第1部【小林アキラ氏  講演】


≪講演者≫ 大阪HIV薬害訴訟原告団  小林 アキラ(こばやし あきら)


生後間もなく、血友病と診断される。治療のため使用していた血液製剤により、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染。20歳の誕生日に、エイズの発症告知によりHIV感染を知らされる。当時、日本ではAZT以外には有効な治療薬がなかったため、治験薬によりかろうじて一命をとりとめた。現在、大阪HIV薬害訴訟原告団・医療班で活動するかたわら、みずからの体験をもとに、医療や差別の問題に対して積極的発言を行っている。


         小林 アキラ 氏

 僕は生後間もない頃にヘルニアの手術をして、その時に血友病ということが判明しました。その当時は血液製剤があまり一般的ではなかったので、輸血によって助かったのです。当時血友病は非常に難病とされていて、平均して20歳まで生きられればいい方だと主治医が言っていたと、両親から聞いております。

 それから血液製剤が市場に出回るようになって、血友病の生存環境はものすごく改善されたわけですが、その血液製剤の中にウイルスが混入していて、今回の薬害エイズという事件を招いたというのは、既に皆さんご存じのことだと思います。

 初めてエイズの記事を見たのは、僕が中学生の頃でした。「謎の奇病  米に発生」という記事が出て、次に「同性愛者の間に広まっているらしい」という記事が出ました。そしてその次に、「血友病患者の間でも大量に発生しているらしい」と。ここまでくれば、中学生の僕でも「これはたぶん体液によって伝播するものではないか」と思い、そして僕自身も血液製剤を使っていますから、もしかしたら日本にも出るのではないか、と考えていました。僕の場合、当時は自己注射が許されていなかったので、他の血友病患者に比べれば、比較的使用していた血液製剤の量が少なく、確率的にも僕が感染している可能性は少ないだろうと考えていました。それでも、僕は心配性なので、当時の主治医に「アメリカでエイズという病気が流行っているけど大丈夫か」と聞いたのですが、主治医は「こんなのは交通事故に遭う確率より少ないから大丈夫だ」と言っていました。まあ、当時の主治医も何も知らなかったのでしょう。

 その後、やはり体液によって感染するということが確実になってきて、とても心配していたのですが、ちょうどその頃、安部教授が読売新聞で「急いで加熱製剤を輸入して使用する必要がある」と述べていました。それで僕としては「もう安心だ」と思いました。海外でも広く使われている加熱製剤であれば、即日にでも日本で使われるようになるだろうと思ったし、何よりエイズ研究の大家である安部英教授がそう言われているんだから、即日使われるようになって、被害者も少々出るようだけれども、その救済も粛々として進むものだと思っていました。

 だけど、結局それは甘かった。実際のところ、加熱製剤の導入を遅らせていたのは当の安部教授だったのです。安部教授としては、「血液製剤を使うことでのウィルス感染の危険性と、血友病治療の重要性を考慮した結果、血友病治療を優先した」と言われるかもしれません。でも結局、その比較考量は誤った情報、特に安部教授の情報操作や、製薬企業の誤った情報の上に成り立っていたわけで、患者のあずかり知らぬ所で決定が成されたということに憤りを覚えます。

 また、その当時「エイズパニック」が起こりました。これは無責任な女性週刊誌や写真週刊誌がエイズ患者のプライバシーに関する情報を面白おかしく書き立てて、恐怖をあおっていました。特に地方では、院長が、入院した患者は特に著名人でもないのに、「エイズ患者が入院した」ということで記者会見を開いて、そこで無責任にも患者の職業や事情をしゃべってしまったばっかりに、その患者は企業を追われることになった、という話も聞いております。

 高校時代の僕はHIVに感染しているかどうか戦々恐々だっだのですが、その当時の僕は健康で、体重減少もなく、使っていた血液製剤の量も少ないし、「まあ大丈夫だろう」とたかをくくっていたのです。それに告知されたとしても治療方法がないのだし、陽性を知ることで、自分の心に重荷を作りたくない、敢えて知りたくないという気持ちがありました。そして何より、遺伝子疾患を持った子どもを持ってしまった両親に対して、それ以上精神的呵責を負わせたくない、という気持ちもありました。

 しかし、高校時代の僕の血液の献体は、帝京大学からギャロ博士に送られていて、僕は高校1年の頃に既にHIVに感染していて、免疫値も通常の3分の1まで落ちていたということが後になって分かります。

 今思い出してみれば、その当時かかっていた病院で、突然医者や看護婦がゴム手袋をつけるようになりました。ウィルスの事があるから、患者に感染させないように気をつけているんだろうと思えましたが、僕もエイズのことで神経過敏になっていたので、邪推すると、「僕がHIVに感染しているのがわかったから急にそうなったのかな」とも思えました。僕は幼い頃から病院にかかっているので、病院のプライバシー保護の意識が低いことは痛いほど分かっていました。当時かかっていた病院は、カーテン1枚で診察室と待合室が区切られていたり、入院すると、当時の清掃婦とか看護婦が患者の個人情報、つまり患者の職業とか病気の名前をみんな知っていました。僕がHIVの関連症候群で入院したときも、清掃婦までが僕の病気のことを知って、ひそひそ話をしていたことを覚えています。

 高校当時は、もし自分がHIVに感染して地元の病院なんかに入院したら、どこで情報が漏れて家族が窮地に立たされるかわからないから、「高校を卒業したら早く県外へ出よう」と、そればかり考えていました。

 高校卒業後は、大学進学のため他県に移ったのですが、この頃から体調が目に見えて悪化し始めました。体重が落ちて、体がだるく、椅子に腰掛けるのさえもしんどい状態で、日和見感染症候群といわれているもののひとつ、「帯状疱疹」も出て、そこまでの状態になると、自分がHIVに感染しているだろうということは、うすうす分かっていました。僕にとって唯一の救いは、いろいろな本や週刊誌を読みあさっていたので、「感染=エイズ発症」ではないという事でした。その当時は、「発症するとだいたい2年後に死亡」というのがほとんど定型的に決まっていたので、発病するまでに10年かかるとすれば、まだ執行猶予が10年あるんだなと思っていました。

 この頃の専門家集団たる「エイズサーベイランス委員会」で言っていることがおかしくて、「HIVに感染している患者はいるが、この患者はエイズを発病していないからエイズではない。すなわち我が国にはエイズはいないんだ」ということを言っていました。その論理というのは、安部英教授が持っている患者を国内初のエイズ患者として認めない、血友病患者を第1号患者として認定されたくないという政治的思惑があって、本当にくだらないと思いました。

 「感染しても10年のインターバルがある」、それが僕の唯一の心の救いでした。

 入院中、僕は20歳の誕生日を迎えました。その日の夕方、診察室に呼ばれ、診察室には医者が1人で座っていました。そういうシチュエーションがきたら、感染告知をされるのだろうと覚悟はしていました。

 そこで医師の口から出た言葉が、「君、エイズだから」だったのです。感染しているから、と言われるならまだしも、「エイズだから」と言われるのは考えてもいなかったので、「先生、それは発病しているということですか?」と聞くと、そうだということで、とてもショックでした。

 発病の告知を終えた主治医は、当然抗HIV薬の投与を進めました。その当時の使用方法というのは、抗HIV薬は1種類のみ、服用方法も大量投与するというものでした。その薬は、抗ガン剤を併用したもので、たいへん副作用がきつく、それを適正量も考えずに大量投与するのです。僕はそれを飲んで甚大な副作用に苦しみながら2年生きるよりも、そのままほっといてほしいと思いました。だから医師の薦めを断って、薬を飲まなかったのです。でも、当然の結果として、体の調子はますます悪くなっていきました。そんな中でも家族に対する告知はまだだったので、自分で家族への告知について考えなければなりませんでした。なかなか切り出せなかったのですが、医師から告知された1年後に再び帯状疱疹が出て入院することになり、その時家族に知らせることになりました。

 そして、確実に自分が死ぬことを意識していましたから、自分が死ぬ病院を見つけなければなりませんでした。病院を見つけ、主治医には「死亡診断書に『エイズ』とは書かないでくれ。劇症肝炎と書いてくれ」と頼み、そうして自分の始末がついた後は、本当にさばさばとした気持ちでした。人生を終えてしまう寂しさというのは確かにあったのですが、それよりも、もう診療拒否に遭うこともなく、病に苦しむこともないということで、透明感に包まれた感じがしていました。

 その後、転院した病院で、新しい薬剤の治験にエントリーでき、DDIという薬だったのですが、それが体に合ったことなど、良好で、現在も生きながらえております。

 現在までの体験を通じて感じてきたことを述べると、第1に、私たちは自分が使いたいと思っている薬でも、それが海外で自由に使われている薬であっても、今すぐ自由には使えないということです。それはどういうことかというと、海外で使われている薬剤を日本で使用するためには「治験」という制度をとらなければなりません。それは、その薬剤が本当に日本人の体質に合うかどうか確認するための治験なのですが、ここに問題点があります。

 その治験制度の全てを終えて承認に至るまで、日本では5年から10年かかることです。我々血友病患者は、すぐにでもウィルス汚染していない加熱製剤が欲しかったわけで、そこで5年や10年も待っていたら、どんどん被害者は増えていくのです。実際、製薬企業は海外で売れなくなった非加熱製剤を全部日本で売っていたのです。結局、加熱製剤の導入に際しても、その承認に何年もかかった結果、悪戯に被害者を増やす結果となりました。

 そしてHIV治療に於いても、新薬の導入は急務でした。HIVウィルスは、薬剤に対する耐性を獲得する性質があります。つまり、薬剤に対して抵抗力を持ち、薬剤が効かなくなってしまうのです。そのために新薬の導入が望まれていたわけですが、AZT、DDIと出て、次にDDCが出て、その後新薬の導入はパタッと止まってしまいました。新薬の治験はいくつかの診療機関で行われていましたが、なかなか正式な認可は成されませんでした。その間に、新薬の導入を待ち望みながら亡くなった患者はたくさんいます。

 結果として、運良く治験に参加でき、運良く薬の効き目があった患者だけが生存率が高くなったということです。これはちょっと不公平ではないかと思いました。なぜなら、治験とはその性質上、それほど多くの病院で行われることではないので、その恩恵に預かることのできる患者はものすごく僅かだったのです。我々原告団は、訴訟とは別に、薬剤の早期認可及びそれが成されない場合の治験制度の拡大を求めて活動して参りましたが、結局それが実を結んだのは、裁判上の和解が成立するまで待たなければなりませんでした。

 現在では、治験というものの時間的な問題を少なくさせるため、国際的な基準を確立しようという動きも遅まきながら出てきました。

 治験という制度は、日本人の体質に合った薬の審査をするという目的の他に、経済施策的な役割もあったのです。つまり、海外で広く使われている薬が日本にどっと入ってきて、日本の製薬企業が潰れるようなことになったら困るから、厚生省は日本の製薬企業を守るために、治験制度を利用して、日本企業が海外の企業と競争しないようにしていたのです。国内の薬品企業はそうやって外国企業との競争を避けてきましたので、国際的競争力を持たない弱小企業が少なくありません。政府からしてみれば、国内企業を守ってやったんだと言うのかもしれませんが、それが本当に私たち国民のためになっているのでしょうか。薬害エイズ裁判での和解内容の1つとして、「薬剤の早期承認認可」というのが認められたと言いましたが、それは少しおかしいのではないかと思います。そういう緊急性と必要性が高い薬については、訴訟云々に関わらず、厚生省としては早期認可を認めるべきではないのか、と思います。

 次の疑問点ですが、薬害エイズ訴訟に於いて、その論点の一つに、「加熱した血液製剤の早期承認は可能だったのではないか」ということが争われました。それを国内の業者保護のためにわざと導入を遅らせたのではないか、というのが争点になっています。そして、この争点こそがHIV薬の早期承認そのものを遅らせたのではないか、と思うのです。なぜなら、裁判の途中で、抗HIV薬剤の早期承認認可が認められれば、「加熱製剤に於いても同様のことが可能だったのではないか」という追求に繋がると思うのです。それを行政側が恐れたのではないかと。行政側が救済措置を講ずることに消極的になることは、本当にないのでしょうか。

 このことは薬害ヤコブ病でも言えるのかもしれません。日本に於いては、ヤコブ病で死亡した人の遺体から取り出した硬膜を使用した製品を、他の患者に移植したために発生しました。厚生省は1997年に使用を禁止しました。しかしそれまでの間に、「硬膜移植によるヤコブ病伝達の危険性」に関する多くの論文や報告があったはずなのですが、それらは一切無視され、全く措置をとりませんでした。さらに1987年には、移植後にヤコブ病を発症した報告論文が発表されていたのですが、その時も何の措置もありませんでした。薬害エイズ訴訟の最中に積極的に輸入禁止の措置をとったりすると、「薬害エイズに於いても同様にできたのではないか」と言われるのを恐れたためにサボタージュが行われていたのではないかと思うと、末恐ろしい感じがします。それほど厚生行政の意識が低いとは思いたくはないですが、薬害エイズ訴訟の和解を契機としてしか新薬の導入を認めないとか、薬害エイズの裁判中、ヤコブ病の発生防止に何の手も打たなかったという厚生省の無策ぶりを考えてみると、大変に疑わしいと思います。

 さらに治験制度にはもう一つ問題点があって、治験のための費用は企業が全額負担なのです。これは一見良いことのように思えますが、企業とは営利法人ですから、儲けを出さないといけません。日本では患者数が少なくて、儲けにならないような薬剤は、企業側は売りたがらないわけです。そういう患者側の不都合を回避しようと、海外での治験結果を前提として、薬剤の緊急輸入制度というのが、HIV薬剤以外にも、最近では白血病など、認められていますが、制度としての不備が目立ちます。

 過去のいくつかの薬害を契機にして、薬事法が改正されました。今回の薬害エイズに於いては、産業政策的に運営されていた傾向を改めるために、薬務局が廃止されました。

 このように薬害を繰り返していかないと、薬事行政は確立されていかないという今の日本のあり方は問題であると思います。

 医療機関の問題について述べようと思います。現実に僕は何件かの病院で診療拒否を受けています。何故診療拒否をするのか、その理由の一つに、医療関係者の感染に対する恐怖があったと思います。専門家であるはずの医師たちは、薬害エイズが起こるまでウィルスに対する意識が甘かったと言えます。広く社会に於いても、予防接種で注射針の使い回しがされた結果、C型肝炎が日本人の国民病と言われるほどに蔓延し、このことでも日本の医療機関のウィルスに対する認識の甘さが分かります。

 一般の目から見て奇異にも思えるような感覚が、専門的且つ閉鎖的な縦社会の中では、誰もおかしいと言い出せないような状況があるのではないでしょうか。医学界に於いては学界の権威を、病院内に於いては医師を頂点とした権威構造を確立することが、治療の効率という面から見れば、これまでは優れていたかもしれません。しかし、それは結局安部教授による情報操作と一部企業に対する利益誘導を生むことになりました。

 ここで我々が考えなければならないのは、少々の効率を犠牲にしても安全を求めるという時期にきたのではないか、行き過ぎた上位下達の構造を崩し、開かれた医療体制の実現を目指すべきではないかと思います。そうすれば医師が1人で全ての重荷を背負い込んで、患者の人生を左右できるような思いこみをすることもないでしょう。皆さんも薬をもらうときに、薬の名前や、効能や、副作用について、薬剤師の方に相談してみるのが良いと思います。そういったことを面倒だと思わずに着実にやっていくことが、遠からず皆さんの安全に繋がることだと信じております。