書籍紹介「トランス・サイエンスの時代」 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

Newsletter
ニュースレター

書籍紹介「トランス・サイエンスの時代」

(文責:特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 若生 治友)


トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ

小林 傳司 著

発行:2007年6月27日
発行者:杉本 孝
発行所:NTT出版株式会社
定価:1,890円(税込)
ISBN978-4-7571-6018-7

目 次
序 章 科学技術と社会のきしみ
第一章 なぜいま科学技術コミュニケーションなのか
第二章 対話型コミュニケーションを求めて
第三章 風景の変容と行動スタイルの変化
第四章 トランス・サイエンスの時代
第五章 協働するしくみの模索
第六章 〈関与〉を意思決定につなぐ
終 章 トランス・サイエンスの時代の人文・社会科学


 関西ではよく「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」と、挨拶がてら使うことがある。「ぼちぼち」とは「まあまあ」「無理しない程度」といった意味に近い。今の私たちが求めるべきは、何事も「ほどよく」「いい按配」なのではないかと思ったりしている。

 今や、私たちの身の回りにある衣食住ほとんど全てのモノが、科学技術の限りない恩恵を受けてきた。確かに科学技術は私たちを幸せにしてきた側面もあるが、便利さや豊かさを追い求めた一方で「戦争」「貧困」「公害」「環境問題」、そして「薬害」など数多くのマイナス面も発生させてきたことは否めない。

 MERSの活動領域である医療という視点から、最近特に思うことがある。「人類の福祉や健康に貢献」という聞こえの良い大義名分の下、研究開発・技術革新を積極的に推し進めることが、果たして本当に私たちに幸せをもたらすことなのだろうかと。

 本書は、現代における「科学技術と社会のきしみ」について、専門家の感覚と市民感覚の関係を考察し問題提起を行っている。

2006年10月開催のMERS主催フォーラム「生命を育む思想 ~薬害エイズと医療~」にて、著者の小林傳司氏

 さて本書を紹介する前に、著者について少し触れたいと思う。私たちは、昨年2006年10月14-15日に最大規模のフォーラム「生命を育む思想 ~薬害エイズと医療~」を開催した。著者である小林傳司氏には、14日の基調講演をお願いし「未知なる事態における科学者の役割と責任」というテーマで講演をいただいた。

 講演の中で小林氏は、科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域を「トランス・サイエンス」とよび、まさに現代はトランス・サイエンスのまっただ中で、政策や意志決定が求められているとした。そして科学と社会との間に軋轢を生じさせているという現代社会の行き詰まりを明示した。そのうえで科学技術が利用される際、専門家-非専門家間をつなぐ「媒介の専門家」が必要であり、市民や専門家自身がパブリック(公共性)を持って判断・意志決定し、相互に「納得できる失敗」を合意できる仕組みが必要であると訴えた。

 著者のいうとおり、政策決定の場や臨床現場などの何らかの意思決定が迫られている場面で、科学者や医療者など、いわゆる「専門家」と呼ばれる人たちだけで本当に意思決定して良いものか、本書はその疑問を投げかけ、今の「トランス・サイエンスの時代」に必要な考え方・仕組み、市民・専門家のそれぞれの役割、そしてどのように人文社会科学が科学技術に向き合うかといったことを提案している。

 一つに、著者は「科学技術に対するシビリアン・コントロール」が必要不可欠としている。かつて「軍隊の最終的指揮権は、軍人にはない」といわれたように、私たちは巨大化した科学技術をいかに使いこなすかという課題に向き合うため、シビリアン・コントロールという考え方が必要であるとする。もはや文系・理系という分け方は過去のモノであり、今後は人文社会科学の智恵・役割が非常に重要な時代であるという。

 また市民参加型のテクノロジー・アセスメントの手法、「コンセンサス会議」についても提唱している。この会議では、科学技術の素人である市民が専門家との対話を経て、テーマとなった科学技術に関する評価と提案の報告書を市民だけで作成する。専門家のみで語られがちな科学技術の議論に、市民の視点・感覚を取り入れることのできる手法といえる。本書では、北海道における遺伝子組み換え食物の栽培に関するコンセンサス会議の結果を取り上げ、「何のための、そして誰のための科学技術なのか?」と問いかける。

 上述の問いの「科学技術」という言葉を、「医療」に置き換えて考えてみたらどうだろうか?人々が求めているからとか、健康や福祉の向上のためといった理由だけで、製薬企業や医療に関わる人間が研究開発・技術導入を行いすぎているように私には思えてならない。逆に自分も含め、私たちは何もかも多くを求めすぎてはいないだろうか?それでは、どこまで求めたら良いのだろうか?果たして本当にそれを求めているのだろうか?

 個人の幸せと社会全体の幸せの物差しを混同すべきではないし、その物差し自体、その時々で変動するものだし、決して線を引くことのできないグラデーションであるともいえる。「求め方」には、いろいろな考え方があって良いと思うけれど、ただ個人レベルの幸せを追求しすぎて、別な誰かが不幸になったりすることはあってはならないと思うのである。

 今の世の中、科学技術や医療の進歩・発展に何らかの違和感を覚えたり、釈然としないと思ったりする人には、本書の他に著者が書いた「誰が科学技術について考えるのか」(名古屋大学出版会)もおすすめしたい。