生命を育む思想:フォーラム3 医療における医学と倫理 | ネットワーク医療と人権 (MERS)

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生命を育む思想:フォーラム3 医療における医学と倫理

フォーラム3
医療における医学と倫理

イントロダクション

 三人はまったく異なる脈絡から現在の医療問題にアプローチするに至ったが、共に1961~2年に生まれており、高度経済成長期を支えた世代の息子世代であるという共通点がある。科学主義がもたらす楽観的未来予想の象徴である大阪万国博覧会は、彼らが小学生の時に開催され、現在万国博覧会の会場跡に当時唯一のアンチテーゼとしての構造物、岡本太郎作の太陽の塔だけが現在も生命の象徴として圧倒的存在感を放っている。

 医療過誤、薬害、医師の逮捕や医療崩壊など現在の様々医療問題をめぐる議論は、いくつかの水準が交錯しすれ違いながら進行している。医療と医学、経済と政治、個人と制度、実体と情報、合意と得心etc.、現代の医療を語る上でもっとも本質的論客の勝村氏、粂氏のやり取りを花井氏がコーディネートする。


勝村 久司 HISASHI KATSUMURA
(陣痛促進剤による被害を考える会)


1961年生まれ。京都教育大学(天文学教室)卒業。現在、大阪府立高校教諭。1990年12月、長女を陣痛促進剤被害で亡くしてから、医療裁判や市民運動に取り組む。「医療情報の公開・開示を求める市民の会」「陣痛促進剤による被害を考える会」等の世話人。厚労省「中央社会保険医療協議会」「医療安全対策検討WG」等の委員。
主な著書に、「ぼくの『星の王子さま』へ ~医療裁判10年の記録~」(幻冬舎文庫)、「レセプト開示で不正医療を見破ろう!」(小学館文庫)など。

 


粂 和彦 KAZUHIKO KUME
(熊本大学 発生医学研究センター)


1962年に名古屋市で生まれ、1987年に東京大学医学部を卒業しました。医学部3年の夏には養老孟司先生の研究室で勉強させてもらいました。卒後2年間、立川相互病院で内科・小児科の研修、その後は分子生物学研究を本業、内科診療を副業とし、現在は「睡眠」をテーマに研究と診療を行っています。ただし医学部時代からのポリシーで、研究と診療は大学と民間病院という関係しない施設で行っています。数年前から医療事故・医療過誤などの被害者の方の支援をインターネット上の活動を中心に行い、医療と社会の関係を考えたいと勉強も続けています。

 


花井 十伍 JUGO HANAI
(大阪HIV薬害訴訟原告団)


1962年、長野県生まれ。同年血友病と診断され、輸入血液製剤によりHIVに感染する。
1990年代初頭に感染告知を受け、1994年大阪HIV訴訟原告団加入。
1997年から大阪HIV薬害訴訟原告団代表を務め、現在「ネットワーク医療と人権」理事及び「全国薬害被害者団体連絡協議会」代表世話人を兼務。
また、厚生労働省薬事・食品衛生審議会血液事業部会の運営委員会委員を務める。

 

           スライド1-1

 医療における医学と倫理:勝村久司

勝村:
 私は、子供を陣痛促進剤の被害で亡くしてから、医療裁判とか市民運動、厚生労働省、文部科学省と交渉して、医療・医学が事故を起こさないようにという思いで活動しています。その話をしたいと思います。(スライド1-1)

コントロールされる出産

 厚生労働省の統計情報部に、情報公開請求して得られるデータからのグラフを示します。(スライド1-2~1-4)

スライド1-2

スライド1-3

スライド1-4

 最新の2004年の日別、時間別の出生数のデータです。日本は少子化と言われていますが、2004年は、1日あたり平均3081人の赤ちゃんが生まれています。日本の場合はほとんど病院または診療所で生まれているわけですが、曜日別でみると、火曜日の平均は3300~3400人、日曜日の平均は2200~2400人、つまり火曜日と日曜日で平均1000人以上の開きがあります。この傾向は厚生労働省が21年前に統計をとり始めてから全く変わっていません。土日が少なく、平日が多い、そして火曜日が一番多くその次が金曜日の順となっています。少子化が言われる以前から現在まで日本のお産は曜日によって差があることは変わっていませんし、厚生労働省が統計をとる以前からも同様であったと推測されます。この何十年もの間、日本で変化なく続いている事実が全く伝えられてこなかったといえます。(スライド1-2)

 次は時間別のグラフを示します。(スライド1-3)2004年は年間111万人あまりの出生がありました。この全てを時間別にプロットしたグラフです。このグラフを見ると、午後2時台が一番多くて、夜間のゆうに2倍以上あります。これも21年前から傾向が変わっていません。つまり、午後2時台が一番多くて、夜間との差が2倍以上になっているということです。赤ちゃんが自ら選んで火曜日を選ぶということは自然の出生からはあり得ないわけですが、時間に関しては、1日が地球の自転なのでなんらかの自然の周期で赤ちゃんが午後2時頃に生まれたがっているということも考えられるわけなので、時間に関しては別のグラフを作成しました。

 厚生労働省は場所別の出生数の統計もとっているので、助産所で生まれた赤ちゃんで時間別でとったグラフです(スライド1-4)。助産所で生まれる赤ちゃんは、1~1.5% ぐらいあります。1日3000人ぐらいの出生のうち毎日30人から40人ぐらいが助産所で生まれているのです。全体の数が少ないので、21年間の助産所で生まれた30万人あまりの全ての赤ちゃんのデータでプロットしています。すると朝の6時ごろに多くなって夕方6時ごろにちょっと減る、きれいな波のリズムのようなものが見えてきますが、基本的に時間による大きな差はありません。助産師さんに話を聞くと、月の満ち欠けや潮の満ち引きなどは関係があることをおっしゃる方もいらして、生命が海から誕生していることやカニが大潮の時に産卵するという事実もあるので調べてみましたが、人間の場合はこれらとの関連をデータから示すことはできませんでした。むしろ月というよりも太陽との関係で夜明けの頃にちょっと増えて、日没の頃に少し減っていますが、時間によって出生数はあまり変わりません。これが人間本来の赤ちゃんが生まれてくるリズムなのだと思います。しかし、こうしたリズムで産まれてくる赤ちゃんは、日本の場合は1%ぐらいの助産所で生まれた赤ちゃんだけで、日本のお産全体で見ると、無理やり午後2時頃に生まれさせられているということが何十年も続いてきているのが日本のお産なのです。

 こうした無理なお産をする時に使われている薬が、陣痛促進剤(子宮収縮剤)ということになります。曜日別・時間別のグラフから、医師・医療者がその薬を使って、いわば都合のいい時にお産をさせようとしていることがわかります。そういう無理を強いると、一定の割合で赤ちゃんに負担がかかるわけですから、その典型的な被害が自分の長女の事故だったわけです。(スライド1-5)

スライド1-5

 こういう事故は何十年も漫然と繰り返されてきていて、残念ながら今も続いています。去年の12月にも毎日新聞が一面トップで、添付文書が大きく改訂された以降だけでも、死亡した赤ちゃんが100人を越えたということが報道されました。それほど、被害が無くなっていく変化の兆しが無いわけです。グラフの傾向も変わっていませんから、お産の時、薬によって母子に無理な負担をかけている現状が見えてくるわけです。

共通点その1「うその説明」

               スライド1-6

 陣痛促進剤の被害者が数多く被害者団体に集まってきているわけですが、被害の状況を報告しあうと3つの共通点が見えてきます(スライド1-6)。1つ目はインフォームドコンセントと言われて久しいにもかかわらず、被害を起こしているところでは本当のことを教えてもらえずに知らないうちに使われている被害者が多いということです。「子宮口を柔らかくする薬です。」とか「血管確保の目的で点滴をします」という説明だけで、実際には陣痛促進剤を投与されていて、事故が起こってから初めて薬の投与が発覚するというケースです。こうした説明の仕方はなぜか都道府県を越えて至る所で同様の説明を受けていて、おそらく何らかの形でそういう誘導がなされているのです。

共通点その2「非人間的扱い」:妻の場合

 2つ目は、被害者達は皆一様に「人間として扱われたかった」と言います。なぜ患者のために医療をしているはずの医療者が、人間として扱わないということになるのかと思いますが、これも被害者たち共通して訴える点なのです。

 私の妻の場合は、非常にひどい陣痛が来ていて、普通陣痛には陣痛の無い間欠期があるのですが、陣痛促進剤を飲まされ、ひどい陣痛が来ると間欠期の無い、最初から最後まで張りっぱなしのひどい陣痛が来ます。そういう状態になっても全く独りぼっちにさせておいて、放っておかれたのです。私の妻は38週目の予定日1週間前、月曜日の定期検診の日に無理やり入院させられて、翌日の火曜日の午後、まさに火曜日の午後2時に産ませようとして、そのために入院して、すぐに「子宮口を柔らかくする薬です」といって薬を飲まされていました。

 ところが、その薬が効きすぎて、夜中からずっとお腹が張りっぱなしになっていて、どれだけ苦しみを訴えても、「まだまだ、まだまだ」といって相手にされませでした。火曜日の午後2時に産ませようと思っているから、そこまではただただ辛抱させようと思っているわけです。前日に入院を指示した主治医が翌朝の8時ごろになってようやく陣痛室に顔を見せてくれたので、妻としては「このままではどうなるか分からない」と、最後のチャンスと思って、とぎれとぎれでもちゃんと主治医に伝わるように「初産だから良く分からないんですけれど、陣痛が異常じゃないかと思います。」としゃべったそうです。これに対して主治医はどういう言い方をしたかというと、「これだけしゃべられるということは陣痛が微弱すぎる、陣痛促進剤追加」です。そのあと看護師か助産師が入ってきて肩口に、ポンと筋肉注射をして出ていきました。いよいよ気絶しないようにするのがやっとの状況になっていきました。陣痛が異常じゃないかという訴えに対して、これだけしゃべられるから陣痛が弱い、と言って去っていくということが、妻にとって、人間として扱ってもらえなかったという事実です。

 病院としては外来が終わった後の午後2時くらいに産ませたいと考えているのに、朝9時にまだしゃべっているから陣痛が弱いと判断したのです。その夜には自分はどこか遊びに行きたいと思っているか、家に帰りたいと思っていたのかもしれません。土日のお産を避けたいと思えば、月曜日に無理やり入院させれば土日にはならない、そういう計画でやっているのに、まだお産が進んでない、このままでは2時台ではなく夕方以降になってしまうかも知れないと思い、薬を追加するのです。被害者からの手記を読むと、共通してこのように人間として扱われなかった時間帯があったと書いています。医療事故の陣痛促進剤被害というのは、ここで何とかすれば大丈夫という時間があるわけですが、そこを放置されるのです。一生懸命苦しみを訴えている時間帯があっても、放置されてしまうため、本当に取り返しのつかないところまでいってしまうのです。

 僕が一番印象に残っている、僕の妻子が事故に遭う前の手記ですが、やはり同じようなひどい状況でとんでもない苦しみを訴えても、スタッフの人たちが4~5人、周りを囲んでいるだけで、だれも何もしようとせずに叱りつけるばかりだったそうです。「しっかりしなさい」「お母さんがそんなことでどうするの」「まだまだよ」と怒られるばかりで何もしてくれないので、その被害者は手記に、私は陣痛室の中で思わず「救急車呼んでぇ」と叫んでいたと書いています。それほどまでに、取り返しのつかなくなるまで放っておかれるというのが共通点です。

共通点その3「密室での拷問」

 3つ目は、「密室での拷問」です。いわば母親自身に子供を殺させるようなことをしているわけです。つまり自分の子宮(密室)で自分の子供をぐっと締めつけているということです。私の妻の場合も、妻自身がDICによる出血多量で両手両足から新鮮血を輸血されながらも血圧がどんどん下がっていて死にかけていたわけなのですが、幸い出血が止まって意識が回復すると、僕としては子供も妻も死んでしまうかもといった状況の中で、意識が回復した妻が最初に言ったことが「赤ちゃんがすごいダメージを受けているんではないか。」だったのです。なぜかというと、「私は何度も叱られた、子宮口がまだ全然開いてないのに、いきんだら駄目でしょう、と何度も叱られたけれども、私は何度もいきんでしまった。」と言って妻は涙を溜めているのです。子宮収縮剤といって勝手に子宮が収縮するホルモンをどんどん入れておきながら、後は「我慢しろ、我慢しろ」と言って叱っているのです。そういう状況をずっと放置して、最後に子供が殺されて死んでしまう、自分も死にかけてしまうということが病院の陣痛室の中で何十年も繰り返されてきていて、今も同様のことが何度も繰り返されている事実を何とかしなければならないと思います。

経済原理が働くわけ

               スライド1-7

 「何故そういうことが起こるのか」なのですが、ひとつには非常に医療現場は価値観がおかしいことがあります(スライド1-7)。私が被害に遭ったのは、大阪の枚方市民病院なのですが、私が事故に遭う5年程前に市議会で次のようなやりとりがありました。

 ある市会議員が当時の市長に対して、「枚方市民病院は3年間で20億の赤字を出しているがどうするつもりか?」と聞くわけです。当時の市長は、この20億の赤字を今後10年間で取り返すという約束をしたわけです。市会議員の「どのようにして取り返すつもりか。」との問いに対して、市長の答えが「人件費削減、薬価差益増、患者増の三本柱で取り返す、そのために翌年から院長、副委員長、事務局長を全部入れ替える。」という約束をしました。こうしてやって来た副院長が、私の妻の主治医だったのです。当時枚方市民病院では、夜間休日の助産師とか産婦人科医を置かずに人件費の削減をしていて、全てのお産を早めに、40週まで待たずに、38週目ぐらいに「生まれかかっています」と言って入院させて、子宮口を柔らかくする薬だと言って陣痛を起こさせて、計画分娩をコントロールして平日の昼間に産ませていました。

 本当の分娩料ももらえるのですが、レセプトで医療費も請求します。全員に病名を「微弱陣痛」と付け、入院してもらったにもかかわらず、薬価分も請求しているのです。さらに陣痛促進剤を使ったお産では子宮口が柔らかくなっていませんから、必ずと言っていい程、会陰切開と言って出口をハサミで切るわけです。2センチ、4センチ、6センチと・・・そしてハサミで切れば切るほど、収入が増える仕組みになっているのが今の日本の診療報酬体系ということです。

 病院からすれば「黒字にしなさい」と言われれば、こういうお産になってしまうのです。患者からすれば価値が低いと思う医療行為に、まるで価値が高いかのような単価がつけられているのです。逆に初産だと8~10時間かかるお産も陣痛促進剤を使えば、火曜日の午後2時という時間帯への誘導だけではなく、初産でも2~3時間でお産が終わってしまうわけです。本当の自然分娩に8時間も10時間でも、夜中でも複数のスタッフが一生懸命付いていただいて、患者からすれば価値が高く、感謝の気持ちでいっぱいで患者がいくらでもお金を支払いたいと思うような医療に単価が付けられていない。そういうお産をしている病院は赤字になって潰れてしまう事情が背景にあるわけです。

知らされなかった事実

                勝村 久司 氏

 次に情報の非公開です。ある良心的な産科の医師から僕たちは入手しましたが、1974年、30年以上前なのですが、日本産婦人科医会、当時は日本母性保護医協会という産婦人科開業医の団体がありました。その医師の団体が当時の産婦人科医全員に配付している冊子というのがあって、それは厚さ5ミリ程で字の大きな分かりやすい注意書きでした。まさに、子宮収縮剤で事故が多発していることを注意する冊子だったのです。30年以上前にそれが配付されていた、そこには「子宮収縮剤の使用によって胎児死亡、胎児仮死、重度の脳性まひ、子宮破裂、母親死亡が頻発しているから気をつけられたい」と書かれていました。けれど、それをマル秘にしていて、はっきりと書いてはいませんが、医師以外にはそういうことを伝えるなという雰囲気が漂っていて、しかも事故を防止するというより、一部が医療裁判にまでなっているから気をつけろという、事故に気をつけるのか、裁判に気をつけるのか良く分からない感じになっているのです。当時裁判をするといったら医療に詳しい弁護士もいなかったので大変だったと思います。しかし、その頃に裁判をしていた人もいたのだなぁと思いました。いまだに「白い巨塔」が、ほぼそのままの原作でもう一度番組ができるという医療の状況が、この30年間が変わらないまま来ていたのではないかと思います。

 その冊子にはもっと怖いことが書いてあり、「この薬が怖いのは感受性の個人差が200倍以上あることだ」という趣旨が記載されています。感受性の強い人にしてみれば、本当の適正使用量の200倍の薬を投与されたのと同じことが起こるわけで、1分間に3滴という、機械を使わなければできない20秒に1滴というペースから始めて最初の30分間は医師自身が持続監視しなければならない、とまで書いているのです。つまり感受性の強い人だったら大変なことになるからなのです。しかし、この種の冊子は実際には医師はほとんど読まないらしくて、もっと分かりやすいペーパーとともに製薬企業の営業マンのような人が病院にやってきて、「この薬はこのように使うと便利でお金も儲かって」という話があるのではないかと思います。そうでもなければ、このように同じような説明で、同じような使われ方が全国に普及しないと思うのです。

 事故が起こっても嘘をついて事故だと言う必要がなかったということもあってか、30年間変わってこなかったというわけです。その冊子には「添付文書に書いてある最大使用量の半分以下しか使うな」とも書いてあって、僕たちはその冊子を、ある医師から入手するのですが、発行されてから18年経った1992年にそれを厚生省へ持っていったら厚生労働省は大慌てで添付文書を改訂することになり、最大使用量を半分以下にすることになったのです。当時この添付文書が改訂されたことを受けて新聞に「被害者の母たちの運動が実る」と載りました。被害者からすれば、18年前に発行された冊子を持っていっただけです。1974年に冊子が配付されているということは、1970年代の始めの頃に相当な被害、母親が死んだり子供が脳性まひになったりしているということが分かるわけです。そういう状況がずっと続いているのだと思います。

教育の重要性

 スライド1-7に教育の不健全と書きました。高校では保健の教科書にお産のページがたくさんありますが、スライド1-2~1-4のグラフが日本のお産の実状なので、教科書に掲載されれば良いと思い、僕としては花井さん達と一緒に文部科学省に要望書をもって行くときには、出生のページでは、このグラフこそ載せるべきだとお願いをしています。そのことで、なぜ火曜日の午後2時に出生が多いのかということをみんなで考えていって、どうすればいいのかを考えていくためのデータとしたいのです。ところが高校の教科書には「周産期死亡率」という生まれてから一週間までに子どもがどれほど死んでいるかというグラフが出ていて、それが先進国の中ではやや悪いぐらいだけど平均的で、戦前ぐらいと比べると死亡する赤ちゃんの数は減っていますと載っているのです。

 母親の死亡率の方は先進国の中では悪い方なのですが、やはり何十年も前の戦前から比べると減っていますと載っています。そういう理屈で日本の産科医療は進んでいっているから、医師の言うとおりしておけば良いという教育をしているのです。消費者として自分で考えてゆくという教育になっていないのです。保健の教科書は、医師会の人たちが中心になって書いています。僕の死んでしまった子供はずいぶんほったらかしにされましたから、緊急帝王切開で最後の最後に取り出されたときには、もう心臓も呼吸も止まっていて完全に死んでいたのですが、赤ちゃんは予備能力が高いので、30分経ったあとに心臓が動き出しました、機械によって9日間心臓だけ動いていたわけです。

 けれど、おしっこも出ないから最終的には腎不全で死ぬわけです。どんどんかわいらしい顔がむくんでゆく9日間だったのです。9日間生きたことになるから、うちの子供は周産期死亡率のデータには載らない、つまり死んだことになってないのです。そう考えるとこのデータは非常に変で、産科医療の質ではなく、小児科医療の延命技術が、周産期死亡率を読み解く上で大事になってくるのです。

医療事故に無知な医師

 母子健康手帳などや母親教室のテキストを妊娠したお母さんは一生懸命読むわけですが、そこにも陣痛促進剤という言葉とか、最初に示したグラフなどは全然出てこないのです。しかし当時の枚方市民病院のように、全員に使っていると公言している病院が、いまだにあり、全員に使わないと夜中や土日の人件費を削減できず、そのために夜中や土日のお産を無くすためには全員に陣痛促進剤を使わなければだめなわけです。そういう現実にもかかわらず、一切記載されていません。私は裁判を始めて最初の頃に母親教室のテキストを見て、涙が止まらなくなったことがありました。その母親教室のテキストは森永乳業かどこかが作ったものですが、私の妻の主治医は副院長だったので、その病院の母親教室も全部その主治医が行っていました。妻は必死で話を聞いて、そのテキストの全てのページの余白という余白にメモ書きをしていました。そこには「血管確保の目的で全員に点滴をしてもらうが、自然分娩を大切にする」という主治医の言葉もメモが残っていました。ところが裁判が始まってみると主治医は、あの薬は全員に使っている薬で、けれど全員が事故になっているわけではないから、事故に遭った方の体に異常があるのだという主張をするわけです。

 「母親教室で、あなたは、自然分娩を大切にしますと言っていますよね。」と裁判で質問すると、「本当のことを言うと妊婦が不安がるからだ」と「妊婦を不安がらせないようにすることがインフォームドコンセントだ」と言うわけです。その時に、感受性の個人差が200倍ぐらいあることを知っているかというと、知らないのです。そういうことはどこにも書いていないのです。本当に産科の専門書とか医学部とか看護師、助産師が勉強するような本にも陣痛促進剤の使い方がそもそもきちんと書かれていません。さらに感受性の個人差が200倍ということが本当に書かれていません。最近、助産師学会の幹部の方々と話をする機会があって、助産師の教育などにも携わっている方々ですが、感受性の個人差が200倍ぐらいあることを知っている人が全くいませんでした。だから、まったく教えられていないし、教える側にも伝えられていないのです。そんな薬がなぜか知らないけれど、かなり多くの人に平気で使って良いかのようになっているわけです。

 「医療」の中の「医学」と「倫理」:粂和彦

医学への不信

左:スライド2-1 右:スライド2-2

粂:
 今日は、医療と医学の違いについて話したいのですが、医療は技術の応用で、医学というのは科学であり学問です。(スライド2-1、2-2)

左:スライド2-3 右:スライド2-4

          スライド2-5

 しかし、学問に近いレベルでも、医学というのは意外にめちゃくちゃなことをしてきています。例えば、「ロボトミー」という技術は、1935年に開発されてノーベル賞をもらっています。科学者にとっては常識ですが、ノーベル賞は今までに実はたくさんの間違った研究に与えられてきていることは、みなさんにも是非知っておいていただきたいと思います。このロボトミーの場合、ノーベル賞をとって6年後に、受賞者がロボトミーを受けた患者さんに殺されるという事件が起こっていまして、日本でも数万人の方に処方されていますが、実態はよくわかっていません。

 高校時代に見た映画で一番印象に残ったのが、このロボトミーを扱った映画で、精神病院が舞台ですが、僕が思うに日本医療の中では、この精神科医療と勝村さんの話した産科医療がいろいろな意味で最も遅れています。僕は脳の科学を研究していますが、脳科学者というのは、“精神”というものにすごく興味があります。本当は精神科の研究や勉強もしたいと思っていたのですが、例えば東大について言えば、20年ほど前はそうしたことができる状況ではありませんでした。(スライド2-3~2-5)

私のバックグラウンドについて

左:スライド2-6 右:スライド2-7

          スライド2-8

 その大学時代にどんなことをしていたかというと、非常に印象的な人たちに出会ったと同時に、耐えがたい出来事を経験しました。大学のときに出会った増子忠道先生というのが、僕にはじめて〝医療と医学は異なる〞と教えてくれた方です。同時期に勉強していた人たちは、今東京大学で医療倫理の教授をしている、赤林朗(あきら)さん、アメリカで医師になって「患者の権利」を翻訳した、赤津晴子さん、現在、一橋大の教授で医療経済の研究もしている井伊雅子さんなどで、僕は彼らと同じグループに入って、バイオエシックスの勉強をしていました。当時、三菱化学生命科学研究所にいた中村佳子さんや米本昌平さんの所に話を聞きに行ったこともあります。橳島(ぬでしま)次郎さんも、大学院生として彼らの所にいました。こうしたグループとつきあいがあったことも、今の自分の活動につながっているのかと思います。

 さて東大のゼミ時代に増子先生に〝医学と医療が異なる〞ということを教わったのですが、この言葉は非常に印象に残っていて、今でも医学部の学生や医療関係者に話すときには必ずこの話をします。本当は昨日、小林さんが「科学技術」という言葉でひとつにまとめて表現されていたように、現在はおそらく、「科学」と「技術」はくっつけてしまったほうが正しいというか、対策が立てやすいのだと思います。ただ、これは25年くらい前に聞いた話なので、ちょっと古い形の言葉です。「ヘルシンキ宣言」等につながることだと思っていただいたら良いのですが、「科学」と、それを応用していく「技術」の間に壁を作りたいという気持ちが僕の中には常にありました。「科学」というのは真実を追究するものであって、よく言われるのですが善悪の価値を問わないものです。それに対して「医療」は、その応用をすることになります。科学でわかった事実を実際応用するときに、わかったから何でもやってみればいいということでは当然ないのです。

 研究というレベルでは、科学者は興味のあることの真実がわかればいいわけですから、その方法論はある意味問わないのですが、応用に関しては、必ず何か目的があって、その目的を達成することは「善」と言われるものでなくてはいけない。つまり「科学」と「技術」では追及するものが違うわけですから、このふたつを同時に行うときには常に注意が必要だというのが、増子先生が僕らに教えてくれたことでした。(スライド2-6~2-8)

大学を飛び出したわけ

            粂 和彦 氏

 大学のときにどういうことがあったかというと、2つのことが僕にとってはショックでした。それは今日のこのセッションにも明らかにつながることです。確か僕は5年生で、東大病院の関連病院で実習をしたときのことです。救急治療の実習だったので10日間くらい完全な泊まり込みで、24時間ずっと救急室にはりつくという生活をしたことがあります。その病院の「医局」という医師がたまり場にしている部屋にプロパーさんたちが来るのです。今は「プロパー」という言葉はなくなって「MR」という少しかっこいい名前がついています。当時に比べると、プロパーよりもMRの方がよくなったし、実際に大学側とMRとの関係も、昔ほどベタベタしたものがなくなっているようですが、当時は倫理などということを言う以前の関係だったと思います。

 いろいろな会社のプロパーさんたちが日替わりで来るのですが、どうやら製薬会社同士で協定みたいなものがあるらしいです。僕らは泊まり込んでいるので、朝いちばんに医局に行って、コーヒーなんかを飲んでいると、彼らが何も言わずに入ってきます。医局には白板があって、前の晩に、そこに「来週の巨人戦3枚」とか書く医師がいるのです。それで例えば「巨人-中日3枚」なんて書いてあると、それを朝一番でプロパーさんはメモしていってチケットを入手してきて、午後来たときにその先生の机にそっと置いていくのです。

 何が嫌だったかというと、その人たちが来ても、誰も挨拶しないのです。彼らは医局にずーっと立っているのです。その頃、僕は学生だったので、プロパーの若手の一年目の人や中堅の人とも話ができたのですが、中堅の人は年間3000万円近く、自分の権限で使えると言っていました。若手の人は、医師に名前を覚えてもらうなんてことはありえず、立っているだけです。彼らのほうはもちろん会釈はしますが、医師側は、まるで彼らがいないかのように振る舞うのです。白板の横に人が立っているのに、わざわざ白板に書くのです。僕はそれが嫌で嫌で、なんでこう人間を人間として扱わないのかと思いました。

 もうひとつは、東大病院の中で非常に尊敬している先生のところで実習をしていたときに、ある患者さんの治療方法についてカンファレンスで話していたのです。もう時効なので話しますが、白血病の方だったので、新しい薬を使おうということになっていました。患者さんの状況は、最初の治療を終えて2回目の再発をしていたときだったので、もうそろそろ治療を再開しなければいけないという時期でした。

 だから治療を明日からしなくてはいけないねという話になったときに、「ちょっとアガリが足りない」と先生は話していたのです。つまり再発すると白血球の数値が上がるので叩かなければならないのですが、叩くときにある基準値があって、そこからどのくらい下がるかというのを見ていくのが、新しい薬の効果を確かめる方法ということになります。ですから、「もう1週間ほど待てば、その基準値まで到達するので、そこで叩けばデータもきれいに取れる」ということが会話として成立していたのです。もちろんプロトコルで1回目と2回目の治療の間は、3週間以上あけなければいけないなどの決まりがあるのですが、その方について言えば、別にどこで始めてもよかったのです。けれど薬の効き目を見るために、「1週間待ちましょう。まあ1週間待っても病状に関係ないでしょうから」ということを話していたのです。僕としては、こうしたことが患者さんのまったく関与しないところで決められているというのが、非常にショックだったわけです。

 大学病院では、ある薬が本当に効くかどうか調べる必要があり、科学者としては病気のピークがどこまでいくかというのを見極めて、そこから叩かないといけないというのはよくわかる話でした。ただ、それを日常的に医療の現場で行う感覚は自分には持てないなと思って、僕の場合は養老さんと違って実際に医療事故を目撃したからというわけではなく、こうした段階ですでに、東大病院にはいられないと思いました。

 だから医療を行うのなら、「医学」ではなく「医療」としてすでに確定している知識を持って、つまり「この薬はこういうふうにこの程度効く」ということがある程度わかっているところだけで医療をやりたいと思って、民間の病院に行きました。いわゆる研究的な治療をやらないで、医学研究とは離れて、医療だけができるところに行きたいと思いました。

研修医時代

左:スライド2-9 右:スライド2-10

 大学の影響を受けているところではどこでも、今話したようなことが起こっていて、おそらく当時の日本の病院の95パーセントくらいは大学の指揮下にありましたから、大学と関係のない唯一といってもいい存在だった民間病院に入ったわけです。当時、大学と関わりない独立系の医療機関が2つだけありまして、全日本民主医療機関連合会(民医連)と徳州会ですが、結局、僕は民医連に行きました。大学医局から独立した病院で、2年間研修をしました。

 民医連は共産党とつながりの深い組織ですが、ぼくが民医連に行ったのは、政治について色があったわけではなく、僕も含めて僕らの世代はノンポリが多いと思います。実は研修医の時には、逆に共産党の活動と病院内での医療を結びつけるのは、政治と医療を結びつけるからいけないと、言っていたくらいです。そういう場所で2年間医師をしました。(スライド2-9)

 研修医になってみてわかったのは、教科書に書いてあるのとは違って、医療は、実は毎日が実験だったり研究だったりすることをつくづく実感しました。僕が大学で感じたことは、一部はもしかすると誤解だった部分もあるかもしれないと思ったわけです。つまり「医療」に関しては確定しているから何かできる部分があると思っていたのですが、違っていたのです。もちろんそうした側面もありますが、そうではないことが日常的にあって、医者は本当に日常的なレベルで毎日、倫理的な判断も迫られるし、自分すらよくわからない、つまり「この薬が効くかどうかよくわからない!いろいろ調べたけれどわからない。でも効くって言っている先生の方が多いから使ってみますか」というレベルなのです。

 僕は「わからない」ということが比較的平気な人間なので、患者さんに「だいぶ調べたけれど、わからないんです、これ」と言って、「もしわかる人がいれば聞いてきてください」という具合に、患者さんにたくさんお願いをしてきました。ただ「先生が調べてわからないんだったら仕方ない」と言われてしまうと、「うーん、これ間違ってたらごめんね」と言って薬を出すしかない。それに自分も周囲も、みんなミスもしょっちゅうします。今も実は、こんな状況でやっています。これが僕の2年間の研修医時代で、すごく患者さんに教えられました。僕はもともと、真実を知る医学者になりたいと思って医学部に入ったのですが、その中でたまたま増子先生と出会って医者というものの魅力にも触れて、せっかく医者になったのだから、ある程度の経験はしたいと思っての研修でした。(スライド2-10)

 そのあと、実は今日の会場から近い大阪大学の大学院に入りました。そして北千里の横にある微生物研究所で1989年から1992年の3年間を過ごしました。勝村さんの星子ちゃんが亡くなったのが1990年の12月ですが、うちの上の息子は同じ年に近くの市立病院で生まれています。その病院でも枚方とほぼ同じ医療がされていて、ものすごく忙しかったのです。たくさん妊婦さんが来ていて、ベルトコンベア式に生まれていました。当時僕は阪大の大学院生で、阪大の産婦人科の先生を紹介してもらったので、立ち会わせてもらえる個室の分娩室をとってもらいました。けれど、普通の分娩室は、カーテンで仕切られただけの分娩台が4、5台並べられていて、みなさんそこで息んでいるので、とても男性の僕が立ち会える場所ではないのです。隣の奥さんが息んでいるところに男であるだんなが立ち合うなんてことはあり得ないという状況でした。

 僕の子どもは1990年に生まれて、ちょうど1歳になったときにMMRワクチンが始まりました。この時も実はMMRが治験されていた段階で問題があることを噂として聞いていたので、自分の子どもにはMMRという合剤は使わずに、1個ずつ別々のワクチンを使いました。

 僕自身、今は当時のことに対して非常にギルティに感じるのですが、ある意味でそうした特権をあたりまえに感じていた自分がいたと、今から振り返ると思います。その頃の期間を僕自身は医療に関しては「空白に近い時間」と考えていますが、基礎医学研究に没頭していて、患者さんを診る仕事は、いわばアルバイトとして、診療所の外来の手伝いに行っていました。医者としての自分は、生活の中では非常に小さいものになっていたわけなのです。ですから医者としての業務はしていましたが、医療と社会の関係を考えるなんてことは、全くしていませんでした。

転機

          スライド2-11

 ところが1998年に、人生を変えることになる患者さんとの出会いがありました。すでに東大に助手として戻っていた時期のことです。当時、週1回内科の外来をしていました。今考えると、なぜ看護師さんが外来のカルテを僕のところに放り込んだのかよくわからないのです。僕みたいなパート医のところにそんな初診の患者さんを回すなと言いたくなります。つまり内科がある程度の規模の病院になると、複数の医師が同時に外来をしているので、初診の患者さんは、看護師さんが適当に割り振ってカルテを置いていくのです。その病院はだいたい午前中の3時間で、僕ひとりでも30~40人患者さんを診ていましたから、入れ替えなどを考えると実際の診療時間はひとり3分以下でした。そういう状況なので、カルテがドサッと溜まっていくわけです。

 待っている患者さんの人数分のカルテが机の上に溜まっていて、そこに〝初診〞というマークがついたカルテがぽんと置かれると、「ああ~、初診の人が来た」と、僕らは思うのです。初診の人は3分ではさすがに終わらないので、初診の患者さんが来ると、常連さんには「ああごめんね、初診の人が来てるから、今日は血圧だけ測るね。ああ、大丈夫。元気元気、じゃあね」という具合に1分以内で処理していくわけなのです。

 そういう状況で、たぶん僕のカルテの束が少なかったからだと思いますが、そこにぽっと置かれたカルテの患者さんは別の病院から逃げてきた人で、3日前に手術したばかりの若い30代の女性でした。胆石の手術だと言われて受けたのに、麻酔が覚めたら、子宮と卵巣を取られていたそうなのです。それが1998年です。

 当然本人は、うろたえていました。「手術をしたときに異常があったから、ついでにとってあげたんだよ」ということで、手術中にご家族が来ていたので、「ご家族からのインフォームドコンセントはとったよ。」ということでした。なんともひどい話です。パート医である僕は、病院に不定期にしか行っていないわけで、彼女には入院していただいたのですが主治医にはなれませんでした。他の先生にお願いして、あとはケースワーカーと弁護士に紹介はしたのですが、その後の詳しいことは実は知りません。その後、僕はすぐに留学してしまったからなのです。(スライド2-11)

現在の活動のきっかけ

左:スライド2-12 右:スライド2-13

 ただ、そのとき初めて大きな問題のある医療に出会って、自分がそういうことにあったときに一体どうすればいいのだろうと思いました。ちょうどインターネットが普及し始めた時期で、ネットで調べて見つけたのが、MIネットという医療改善ネットワークでした。今現在は、PMネットというグループに僕自身は移っています。

 それ以来、研究者としての活動は続けながら、医療の内部の事情も知っている人間としてできるだけ医療を良くする活動を続けたいと思っています。あまりにも医療の内部の現実と外に知られていること、あるいは外からの見られ方が違いすぎることが実感としてあったからです。20何年前にすごく違和感としてあったものが、十数年経ってもほとんど変わっていないことを感じたので、これは何か少し変えるべきだと思い、少しずつ活動しているところです。(スライド2-12、2-13)

 そういう活動をし始めた頃に、僕は3年間ボストンにいました。そして偶然、熊本大学に職を得られたので、熊本に来ました。熊本は初めての土地だったのですが、住んでみてわかったのは、水俣の歴史がありハンセンの療養所があり、いろいろな過去の負の遺産も抱えている土地だったということです。熊本大学の医学部は、そうした遺産をひきずっていることもよくわかりました。

戻ってきたは良いけれど

          スライド2-14

 留学が終わって日本に戻ってきてみると、医療に関して、良くなっている部分もありました。例えばインフォームドコンセントです。僕らは大学時代、新しいもの好きで勉強した言葉でしたが、医者になった時点では、周りの先輩たちは誰も知らない状況でした。でも、そうした言葉も浸透していて、ある程度変わってはきていました。(スライド2-14)

 昨日NHKが医者不足の特集番組を組んでいましたが、何も制度が変わらないまま、逆に社会的な圧力だけが強くなっているという状況の中で、今、本当によい方向に変わっているのだろうかという疑問もあると思います。もう少し医療側も、患者さんと一緒に医療を良くしていくという努力をしていかなくてはならないのではないかと考えています。

 僕が医療改善活動に関わってきた中で、いつも最初に紹介するのは勝村さんのことですが、2番目はY大学での患者さん取り違え事故があります。これが大きな転機だったと思います。あまりにもとんでもない事故で、肺をとらなくてはいけない患者さんの心臓の手術をしてしまって、心臓の手術をしなくてはならない患者さんの肺を取ってしまったという事故ですから、申し開きもできない明白なミスによる事故だったのです。こんなに明白な事故で有名になったのですが、これが戦後初めて起こった取り違え事故だ、などと思う人はいませんよね?

 つまり、こんなことはおそらく何度も起こっていたと思います。だけど世の中に大々的に出てきたのが初めてでした。だから最近、「事故は増えてますか?」と聞かれることがありますが、そんなことは多分ありません。やはり医療は多少よくなっているし、事故はたぶん減っていると思います。ただ世に出てくる数が増えているだけなのだという意味で、そのきっかけとなったこの事故は画期的な出来事だったと思うのです。

 さらにK大学の割りばし事故がありました。これは医者側にとっても分岐点になる出来事だと思います。さきほどの取り違え事故は、医療者側が積極的に働きかけることによって起こった事故なのですが、この件は〝見落とし〞です。もちろん患者側にとっては、誠実な医療を受けられなかったという意味で、どちらでも同じことなのですが、医者というのは医療を与える側で、〝与える〞という感覚を持っているので、これはパッシブなミスであってアクティブなミスとは違うと、みんな思っているのです。僕自身もその感覚はあります。しかし、パッシブなミスでも批判され、それが伝えられるという意味では、医者側の意識を変える事例だったと思います。

 また僕自身、事故の話だけを聞いた時には、「いやあ、僕でも見落としたかもしれないな」と思ったのです。ただ被害者の方が書いた本があって、これを留学中に読みました。内容にはもしかしたら強調した部分はあったかもしれませんが、嘘はない、事実が書かれているという印象でした。本に書かれた事実を見ると、「これは、ふつうの医者なら見落としてはいけないだろう」と感じたのです。あまりにもショックだったので、見落としをした医師が証言台に立つ法廷に傍聴に行って、実際その証言を聞いてきました。そして自分の意見が正しいと確信したのです。今話したように、この件はパッシブなミスだし、自分でも見落としてしまうだろうと思っている医師が多いです。ですから、こういう意見を言うと医師仲間からは袋だたきにあうのですが、僕はやはり見落としをしたことについては謝るべきだと思っているので、この件では被害者の側を支持してきました。

 3番目はN医科大学のワイヤ事件です。この件に関しては、勝村さんも一緒でしたが4月に東京でシンポジウムがありました。この事故は、20歳の女性の事件ですが、あごの骨を折ってはいたけれど命に関わるような大きなケガではなく、ケガのあと12日も経って、本人はピンピンしている状態だったということです。ただ、まだ骨折も残っているし痛みもあり、ちゃんと止めた方がいいという、いわゆる待機的な手術だったわけです。だから急ぐ必要も何もないし、命の危険などは、当然ないと考えていた手術だったのです。けれど、この方は手術を受けて2日後に亡くなりました。この件はまだ係争中なので、詳細は省きますが、僕自身はミスを示す証拠があると思っているのに、裁判では一審では医者側が勝ちました。

 このように、これまでの数年の活動を通じて経験したのは、日本では何が正義なのかよくわからないということです。

医師の倫理

          スライド2-15

 さて、われわれ医師という医療の専門家としての倫理を考える時に、2つの場面があると思います。ひとつは、医師として一対一で患者さんと対峙するときの倫理です。もうひとつは、医療者が医療全体を信頼性のあるものとして高めるための、システムとしての責任という意味での倫理があると思います。

 前者については、個人としての責任を果たしていない最たる例は、おそらくカルテの改ざんだと思います。そして事実の隠ぺいです。これだけはしてはいけないと思います。それから後者のシステムとして、医療そのものの信頼性を損なう一番悪い行為が、鑑定意見書で嘘を書くことです。たとえば、ある裁判では、ある大学の医学部の教授が、学生でもわかるような明らかな異常のあるレントゲン写真に関して、でっちあげの解釈を、屁理屈で50ページにも渡って難しい言葉を使って書いています。それを裁判官が読むわけですが、多分、途中で頭がうわーっとわからなくなってしまって、その屁理屈の方が正しいのではないかと思ってしまうのです。そういう鑑定書は医学知識がなければ書けないものです。おまけにそれは個人対個人という関係ではなくて、医療というシステムの中で信頼を受けて、ネームバリューがある人だから裁判官に選ばれたという背景があるわけです。これでは、医療がシステムとして信頼を失っても仕方がありません。

 今日は、本当はもっとレベルの高い話をしたかったのですが、高尚な倫理という次元にいたらないようなところで、すでに医療者が信頼を失っている部分がまだまだある、ということをお伝えして終わりにしたいと思います。(スライド2-15)

 パネルディスカッション

花井:
 今のお二人の話は、どちらかというと個人の視線に沿ったものでしたので、その中にいろんな論点や整理の仕方があって、聞かれた方はそれぞれの中で「これはこういう問題かもしれない」と、いろいろ気づかれたと思います。

 今〝バイオエシックス(生命倫理)〞という言葉が出回っていますが、そういう脈略でサイエンスをどう捉えるかということを、全体のテーマとして二日間行っています。それ以前に、ほとんど犯罪だろうという事実が、マスコミ等々でもカテゴリーミステイクしたまま議論されていくと、わけがわからなくなります。実際は倫理の問題と、「こんなのはどうしようもないだろう」ということが一緒になって議論されているわけです。だから、二つにわけて話をすべきではないかと思います。

 「専門家」であるということで犯罪が正当化されているような状況で、専門性のおかしさではないかということを議論したくなるのです。けれど実は専門家でも、医師が何人か集まれば「これはミスってるよね」ということはわかるわけです。ところが医師以外わからない世界があって、専門家同士ではわかることがあります。弁護士も同じで、「この訴訟、なんで負けたの?おかしいよね?」という具合に、僕らにはよくわからないのですが、弁護士同士だとわかる世界があるのです。つまり専門家にしかわからない領域で、この治験は無理もない、この事例はやっぱりおかしい、ということを鑑定書にも書いていただければそれでいいと思うのです。しかし概ね医療裁判では、鑑定書の世界と何人かの医師が集まって話していることとが全く反対の鑑定書が出てくるという実態があります。

 こうした倫理問題と、もっと現場というか、あたりまえのことをなぜしてもらえなかったのかという部分が混同されています。ある意味、混同されていることで、医者側は、自分たちはふだん一生懸命毎日やっているのになんでこんなに叩かれなくてはいけないのかと思うし、患者側は、医療倫理とか言っているが、こんな人間以下みたいに扱われて泣き寝入りしかないという、こういう怒りが対峙しているのです。そういう局面がありがちであるというわけです。

 そこに若干の思考の地図を書くというのが、実はこのセッションの目的だったわけです。勝村さんは医療過誤の裁判を星子ちゃんのときに起こしていまして、一審でちょっとあり得ない負け方をしますが、その後、逆転勝訴になりました。N大学の事件は、確か名誉棄損事件になっていますが、昨日の小林さんの基調講演の脈略で言うと、法的には鑑定というのは、刑事事件では証人にしかすぎないのです。しかし鑑定人になったとき、ふつうの証人とは違って、その鑑定人が違っても同じ結果が出ます。つまり通常の証人というのはいろいろと立場があるので、反対尋問をして証人が言っていることの事実関係を裁判官が考え判断します。しかし医療の鑑定人という証人の場合は、その人(医師)が替わっても同じ専門性であるから鑑定結果も変わらないという前提のもとに、〝鑑定人〞という証人は出てきています。だから医療裁判で、双方の鑑定人が出てきて戦うということは、他の裁判所の証人と原理的には変わらないのだけれど、医療においても鑑定書というときの〝科学〞はその辺がぶれてきているのではないかと思うのです。

勝村:
 粂さんの話にもありましたが、実際に医療裁判というのは本当に高尚ではないのです。ところが、医療裁判の問題で議論するマスメディアとかアカデミズムとかは、高尚じゃない話をアカデミックに語れないので、もう少し高尚だろうというバイアスがかかって議論してしまっています。だから一人の医者が責められたらすべての医師が責められるのではないかということに全部なっています。

 つまり、ほとんどの医療裁判がただただ嘘との戦いで、福島県立大野病院で起こった、産科医が足りないとマスコミに大きく報じられるきっかけになった事件も、事故から一年以上経って逮捕されてから、初めて医師の配置などの対応をしています。「あんなに地方で頑張っている産科医が」と言われますが、事故報告書として出している内容が遺族の話を全く聞かずに作られていて、記憶と違うということを言う場も与えられない。それを一年間ずっと放置して、何が嘘か、ということが論点なのに、病院側の主張が全て真実だという前提で報道がされてしまっています。嘘との戦いなのだとしてしまうと、全然医学的ではないからなのです。そうした議論ではなくて、人手不足はどう解消していくのかという話に変えられていってしまうところがあります。

 アカデミズムの専門家などが、本当の市民感覚から浮いてしまうことによって、その社会の本当の問題を放ったらかしにしてしまうところがあります。いい意味でリーダーシップを取ってもらって引っぱっていく面はもちろん必要ですが、本当の現実を置き忘れてしまうアカデミズムにはならないことが、やはり大事だと思います。「倫理」というものが、僕ら日常の市民感覚よりも非常にむずかしい大変高尚な価値観だと思うのは間違いで、実は日常生活の中のごく普通の感覚こそが倫理であって、そこに至っていない部分が今、医療裁判で問われているのだということを、当事者たちが言い続けていかなくてはならないと思います。

粂:
 基本はとりあえず情報公開だと思います。例えば裁判の鑑定報告書にしても、公開すること自体は問題ないはずです。自分の大学では、この教授はこういう講義をしているけれども、鑑定意見にはこういうことを書いているということを、HPなどいろんなところで出してしまえばいいと考えます。僕は、それなりに関心を持っていたつもりですが、知らないことが本当に多くて、やはり勝村さんたちと会って話を聞くと、そうだったのかということばかりなのです。

左から、花井十伍氏、粂和彦氏、勝村久司氏